「憲法改正」の王道(後編)
日本は昭和20年8月14日、大東亜戦争を終わらせる決意をし「ポツダム宣言」を受諾する旨を連合国に通知しました。翌15日、天皇がラジオ放送で、この事実を公表しました(「終戦の詔書」)。9月2日、日本は連合国と「降伏文書」に署名して、「降伏」し「終戦」を迎えました。この「終戦の詔書」は、正確には「ポツダム宣言受諾の詔書」ではあります。ポツダム宣言を受諾したこの詔書には「朕(中略)非常ノ措置ヲ以テ(中略)共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」とあります。この「非常ノ措置」は、大日本帝国憲法(明治憲法)第31条による「非常大権」の発動と言えます。この「非常大権」とは、「戦争や内乱などの非常事態に際して、国家の存立の保持のため、他にとるべき手段がなく、真にやむを得ない場合には、統治権の総攬者であらせられる天皇は、最後の手段として、明治憲法第二章に定められた臣民の権利の一部を犠牲にしうるし、さらには、明治憲法が常態を予想して定めているその他の規定の効力をも停止せしめるという権能である」(小森義峯著「憲法改正への王道」から引用)。更に引用を続けます。「この結果、明治憲法は、ポツダム宣言と抵触(触れあたること)する限りにおいて、一時的に効力を停止し、いわば冬眠または仮死の状態に置かれることになった。日本国憲法は、そういう状態の時に成立した。だから、日本国憲法の根底には、帝国憲法が、たとえ冬眠または仮死の状態にしろ、とにかく厳然と存在していたわけである」「非常大権は、非常事態を切り抜けるためにやむをえず認められる措置であるから、必要最小限度のものでなければならぬ。だから、非常事態が終了するや否や、直ちに解除されねばならぬ。これをポツダム宣言との関係でいえば、平和条約が発効し、ポツダム宣言が失効した昭和27年4月28日に、非常事態は終了したわけだから、この日に、非常大権の発動は解かれ、明治憲法は冬眠または仮死の状態から正常の状態に復帰した、と考えなければならぬ」(引用終わり)。これらを要約しますと、「非常事態」にあった日本は、サンフランシスコ講和条約(対日平和条約)が発効した時点で、「非常事態」を脱し、「常態」に復帰したのですから、大日本帝国憲法(明治憲法)が復帰・復元しました。つまり、これ以来、日本は「明治憲法」下にあります。この「憲法」に、現状に適合しないところがあれば、憲法第99条に沿って「改正」すれば良いのです。同条によりますと、改正案は、両議院の総議員3分2以上が出席し、その3分の2以上の賛成で成案となります。つまり国会議員の議決で「憲法を改正」することができます。