2006/11/03(金)12:28
「憲法改正」の王道(番外編)
日本国憲法は、本日(11月3日)公布60周年を迎えました。
この憲法が国際法上はもとより、国内法上も無効であることは、前回、前々回の記事に書き込みました。
結論をいいますと、
無効ですから、現在ある大日本帝国憲法(明治憲法)が自動的に復活しています。
その上で、この憲法に、足りないもの、現状に沿わないところを改正すれば良いという考えです。
さて、憲法は「costitution」の訳語であり、構成・本質・体質などの意味があります。
先人が、明治憲法を制定する際、先進諸国を訪ね歩いて得た教訓は、
「憲法は、自国の歴史・伝統の上に成り立つ」ものであり、これに基づいた「自国独自の哲学」
「国家としてのグランド・デザイン」「アイデンティティ」がなければならない、でした。
結果、制定された明治憲法は、先進諸国から高く評価されました。
つまり、日本国の歴史・伝統を踏まえた「国柄」が反映されていたからです。
天皇は、明治憲法の下「立憲君主制」を摂り「国務各大臣から輔弼を受け」るだけで、自ら政治的発言・意見を述べることはありません。
一方、日本国憲法を見てみましょう。
象徴的なのが「前文」です。
この際、もう一度、読み返してください。
先生(占領軍)に怒られた生徒(日本)が書き綴った「反省文」です。
その上、警察が書き上げる「調書」と同じように、生徒(容疑者)が書いたのではなく、先生(警察)が書いたものに生徒が署名しただけです。
もっとも、占領軍(実体はアメリカ合衆国)も日本も、同列の主権国家ですから、「先生・生徒」の関係にはなりません。
ただ、勝者・と敗者との違いです。
それでも、日本は降伏したのですから「征服」されたわけではなく、同じ主権国家である事実は変わりありません。
それにも関わらず、占領軍は「二度と、日本が主権国家になれないように」征服政策を推し進め、その重要政策の一環として「日本国憲法」を押し付け、「平和憲法」という「幻想」を(洗脳により)与え、手続き上も「改正」できないよう「仕組み」ました。
前文に、
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」とあります。
翻訳調で、到底「日本語による文章」とは言えませんが、それよりも「日本が平和を阻害し、日本国民に専制・隷従・圧迫・偏狭を強いた」との事実誤認を既成事実化し、それに対する「押し付け反省文」に過ぎません。
極東国際軍事裁判(東京裁判)も、全く同じ根拠に基づいて不法に断行されました。
このような「占領軍の基本方針」によって制定された日本国憲法の下で、もはや日本は「主権国家」と言えない状態に落とし込まれ、日本人は彼ら占領軍(アメリカ)に「隷従」する「奴隷」に成り下がりました。
昨今言われている「グローバリゼーション」の真相がここにあります。
つまり、ヨーロッパ各国が「EU」化され「国家主権」が少しずつ制限されている情況。
「中共」の経済発展と、その後予定されている「バブルの崩壊」後の「内乱」または「有事」。
日本の「規制緩和」「外資の更なる進出」「郵政民営化」。
「グローバリゼーション」とは「国際化」「アメリカ化」ではなく、ある特定の価値観を洗脳で押し付け、それを「世界標準」にして、多くの国・国民を「奴隷化」することです。
ですから、今こそ「国柄」つまり、日本の歴史・伝統を「復活」させなければなりません。
日本は敗戦により、占領軍から「圧迫・偏狭」を受け、「日本の歴史と伝統」が重石を付けさせられ、水底に沈められました。
これを再浮上させなければなりません。
「憲法改正」も、この基本方針がなければ「奴隷憲法」を若干「手直し」するだけに終わってしまいます。
まずは、日本国民が「日本国の歴史と伝統」を学び直すところから始めなければなりません。
その結果、日本国と日本人に自信と誇りを取り戻しましょう。
(付記)マスコミの報道で知った「高校での必修科目の不履修」問題で、一番の問題は下記です。
現在、教育指導要領では「歴史・地理」の必修科目が「世界史」になっていますが、本来 やるべき必修科目は「日本史」です。
このような当たり前のことが行われないぐらい「奴隷化」が隅々まで徹底して浸透してい ます。
参考図書:「明治憲法の思想」八木秀次著 PHP新書