2008/10/16(木)12:02
「民族破滅」の打開策
今、読み止しの書籍から引用します。
私の娘は今、私の後をついで、シナリオライターになるために努力している。
やっとあるテレビドラマ制作会社からお声がかかり、執筆を依頼された。
私の知っている限りでも、同じストーリーを6回書き直しさせられた。
その「ダメ出し」の理由は、高級過ぎ、ストーリーが難しすぎるということだった。
もっと誰にでもわかる話にしてください、という注文が5回続き、6回目には、こう言ったそうだ。
「あなたの知っている一番バカな人間を頭に浮かべ、そのバカがバカにする人が視聴者だと思って書き直してください」。
娘はついにこの仕事を断った。
更に同書から引用します。
人間は、一人ひとり自分の持つ性質・状態・作用に対する「主」なのであり、認識し、行為し、評価する「我」なのである。
ただし日本人以外。
個人の主体性こそ人間の尊厳の根なのであり、高年齢者自動車運転特別講習会と日本の病院システム、官僚と政治家、日教組とPTA、テレビとケータイ、盆と正月、父の日と母の日、等の没個人の自由は尊厳破壊の象徴である。
先日、私はある日本人に質問した。
一体いつごろから日本人の尊厳が失われたのでしょうか?
彼は答えた。
「俺たちひょうきん族」でビートたけしが出現してからでしょう。
納得。
更に最後の「章」から引用を続けます。
人間としての日本人を探そう。
至極簡単なことだ。
誰でも知っていることだ、
人類が滅びつつあるとき、
われわれしか人類を救う民族がいないことを。
それなのにー、
真っ先に滅亡するのが、
日本民族であることを…。
ただ君が考えていないだけなのだ。
そう、本当は誰でもわかることだ。
考えさえすれば…。
林秀彦著「日本人はこうして奴隷になった」成甲書房2008年3月刊 から引用終了
さて、昨晩(10月15日)、NHK「その時歴史が動いた」で知里幸恵さんと、彼女が編訳した「アイヌ神謡集」(現在は岩波文庫刊)が取り上げられていました。
同書の序文を下記に引用します。
序
その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の大地でありました。
天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼らは、真に自然の寵児、なんという幸福な人たちであったでしょう。
冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って、天地を凍らす寒気をものともせず山又山をふみ越えて熊を狩り、
夏の海には涼風泳ぐみどりの波、白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮かべてひねもす魚を漁り、
花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて、永久に囀る小鳥とともに歌い暮して蕗取り蓬摘み、
紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて、宵まで鮭とる篝も消え、谷間に友呼ぶ鹿の音を外に、円かな月に夢を結ぶ、嗚呼なんという楽しい生活でしょう。
平和の境、それも今は昔、夢は破れて幾十年、この地は急速な変転をなし、山谷は村に、村は町にと次第々々に開けてゆく。
太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて、野辺に山辺に嬉々として暮らしていた多くの民の行方も叉いずこ。
僅かに残る私たちの同族は、進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり。
しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて、不安に充ち不平に燃え、鈍りくらんで行手も見わかず、よその御慈悲にすがらねばならぬ、あさましい姿、おお亡びゆくもの‥‥それは今の私たちの名、なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう。
その昔、幸福な私たちの先祖は、自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変わろうなどとは、露ほども想像し得なかったでありましょう。
時は絶えず流れる、世は限りなく進展してゆく、激しい競争場裏に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強いものが出て来たら、進みゆく世と歩を並べる日も、やがて来ましょう。
それはほんとうに私たちの切なる望み、明暮祈っている事で御座います。
けれど‥‥愛する私たちの先祖が起伏する日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか。
おおそれはあまりにもいたましい名残惜しい事で御座います。
アイヌに生まれアイヌ語の中で生いたった私は、雨の宵、雪の夜、暇ある毎に打集まって私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙ない筆に書連ねました。
私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば、私は、私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び、無上の幸福に存じます。
大正十一年三月一日
知 里 幸 恵
これを書き記してから、6ヵ月後、知里幸恵さんは、心臓病で急死、19歳と3ヶ月の短い人生ではありました。
大正12年に同書は出版されました。
この「序文」ほど、美しい日本語で書かれた「文章」を私は、未だ知りません。
残念ながら、この文章は「アイヌ語」で育った「アイヌ」が書いたものです。
岩波文庫では「外国書」に分類されているようです。
この「逆説」をどう説明すれば良いのでしょうか。
この序文を「打ち込む」際、私は何度もその手を休め、目頭が熱くなりました。
「民族が滅ぼされる」ことの重大性を再認識した次第です。
残念ながら、日本政府は今年になって、やっと「アイヌを先住民族として認めました」。
冒頭の「この広い北海道」を「日本列島」に置き換えて、もう一度、読み返してくだされば幸いです。
「おお亡びゆくもの‥‥それは今の私たちの名、なんという悲しい名前を」日本人は持っているのでしょう。
それでも「二人三人でも強いものが出て来」て、「亡びゆく」ことがないよう祈念します。
ここで、再度、林秀彦著「日本人はこうして奴隷になった」から引用します。
まず一度、白紙に戻す。
建国のやり直しをする。
日本語の再建は急眉の問題だ。
現在の日本語は、ほとんどすべてが輸入概念語、一知半解語である。
平安以前は中国語、その後は「平仮名」発明を筆頭としての日本語化だったが、これも次から次に輸入される新語、新概念で、完全な咀嚼はされていない。
言語は概念だから、この過程は致命傷になる。
事実致命的だ。
明治以降は、西洋概念に席巻された。
哲学用語がいまだに一知半解のまま野放しになっていることが、日本滅亡の引き金になっている。
再建の方法は三通り考えられる。
最初の策は徹底的な縄文回帰である。
もっと国力のすべてを使って、古代日本のありのままの姿を研究するのだ。
せっかく三内丸山などの貴重な研究材料も発見されているし、すべての天皇陵を含めた古墳の徹底的な公開調査、研究をすべきだ。
オノマトペを足がかりに、大和言葉を現代に復活させる合理的な方法を考え出すべきである。
そして、完全な純粋大和民族というものが、仮に架空の存在だったにせよ、できる限り日本人の原型に近い古代哲学を体系化し、現在に復活利用できるものはどんどん取り入れ、初等教育、家庭教育にも普及させなければならない。
引用終了
「二の策」と「三の策」は、皆様それぞれが購読して咀嚼してください。
ここでは、私の「一の策」を紹介します。
それは、食糧の完全自給です。
これ無くして「教育」「民族」「尊厳」「奴隷解放」「独立」はありません。
週末だけでも土に親しむ「国民皆農」から始めましょう。
食は命なり