がんは感謝すべき細胞です。

2008/10/28(火)12:49

仮説・本来の生命とは

健康(9)

野生動物は、原則として「病気」になりません。 悲しいことに、病気になるのは、主に先進国(破滅途上国)の人間と、彼らが関与し管理している家畜・愛玩動物・動物園の動物などです。 病気とは「氣の病」です。 ですから、野生動物は「自然の摂理」に従い、その体内に適正な「氣」しか摂り入れませんので、氣が病むことはなく、病気にはなりません。 一方、適正ではない、不自然な「氣」を摂り入れていますと「氣が病み」、病気に罹病します。 宇宙は勿論、環境、自然、私たちの心身は「氣」で作られています。 私たちが海を見て喜び、森林の中で颯爽感に満たされ、感動するのは、その本来の「氣」に触れることができるからです。 この体験を家庭内で実践できるのが「食事」です。 勿論、食べ物は「環境」が作り出した「恵み」であり、 生命力に溢れた「氣」に満たされた「環境の化け物」ではあります。 ここに「氣の威力」藤平光一著 (講談社+α文庫)から引用します。 つまり、人間も、何もないが、何かあった状態から生まれてきたのである。 この「何もないが、何かあった状態」とは、もちろん「無」ではない。 無からは何も生じないからだ。 こう考えてくると、人間の心も肉体も、一木一草も、太陽も星も地球も、天地にあるすべてのものが、こ「何もないが、何かあった状態」、つまり無限に小なるものから生じてきたわけである。 これらを総称して、私は「氣」というのである。 この氣のことを、神と呼ぼうと、ご本尊と呼ぼうとかまわない。 日本で「手」というのを、アメリカで「ハンド」というようなものだ。 氣は、無始無終であり、増えも減りもしない。 仏教では、これを「不生不滅、不垢不浄、不増不減」と説明している。 また、諸行無常ともいっている。 つねに流動しているという意味である。 もうおわかりだろうが、天地の氣から生まれたすべてのものは、生成発展したり、死壊消滅をつづけているが、氣そのものは変わらず永久不変だということである。 (中略) つまり、私たちの生命は、天地の氣を心身で囲っているのである。 私の氣というものはもともと存在しないのである。 氣はつねに天地と交流している。 肉体も、天地の氣から生じたものであり、氣そのものから見れば「私は天地の氣だ」ということになる。 私たちは、呼吸のみならず、全身で天地の氣と交流しているのである。 食事とは、本来、適正な、自然な、生命力に満ちた「氣」を摂り入れることではあります。                                   引用終了 私は「健康かむかむ塾」を主宰していますが、3年前、この塾を訪ねて下さったかたから、この書籍の存在を知りました。 そのかたは、この書籍から、適正な「氣」の採り入れかたを熟読し、自分なりに咀嚼を行い、実践して「難病」を克服したとのことでした。 私も購読させていただき、今は「座右の書」となっております。 私の許に「相談」に来られて、残念ながら「本来の食事への切り替え」が難しいかたには、この書籍の購読を奨めております。 次に目次を紹介させていただきます。 プロローグ 氣は誰にでも出せる 第一章   氣とは何か 第二章   これが氣の実際だ 第三章   私はいかにして氣を体得したか 第四章   氣は生活にこうして応用できる 第五章   座談会 「氣」が私を変えた 出席者:広岡達朗・長島茂雄・王貞治・著者                    ☆ 生命力に溢れた「氣」に満たされた「食べ物」こそ、穀物・野菜・豆類を中心とした「穀菜食」ではあります。 特に主食あります穀物は、無農薬・無化学肥料で生育した玄米でなければなりません。 このような玄米のように生命力溢れた主食を、一口最低30回良く噛んで食べ、1日二食の少食をしていますと、多少、毒が入っている野菜・豆類を食べても、影響はありません。 嗜好品に過ぎない「お酒」「タバコ」そして「コーヒー」も満喫してください。 玄米の生命素が異物・毒物を排出してくれます。 但し、どんなものでも「吸い過ぎ」「食べ過ぎ」「飲みすぎ」は良くありません。 さて、食事とともに、適正な「氣」を摂り入れる方法が「呼吸」です。 これについては、同書の「第四章 氣は生活にこうして応用できる」の中にある「藤平式氣の呼吸法のすべて」を参照ください。 適正な食事を行い、適正な呼吸も行いますと、 心身が生命力豊かな「氣」に満たされ、 「健康」を意識することのない、 本来の生命に戻ること間違いありません。

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