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2010.05.25
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カテゴリ:健康・ダイエット
「佛教とは(一)」岡 雷翁著から「一・佛教とは」を引用掲載させていただきます。

佛教とは、お釈迦さまが人間の正しい生き方、正しい老い方、正しい病気の処し方、正しい往生の仕方などをわかりやすく説いた教えであります。

つまり人間は、どこから生まれて、どこへ行くのか、人間の肉体の上に現れる生老病死の果たす役割、人間の五臓六腑をはじめ全身を動かしている神経の果たす役割など人間を取り巻く生命の営みを詳しく教えたのが佛教なのです。

そして、お釈迦さまは最後に人間が日常生活のよりどころにする唯一の経典は何であるかを教えました。

それは、自分が生まれるときに借りた有限の肉体(自灯明)であり、その肉体を生かしている無限の大宇宙の大生命(法灯明)であること。
それを告げて釈尊の教えを締めくくっています。

したがっていろいろの方便を使って自灯明、法灯明を説明して来た教えは、「釈尊が涅槃に入ったあとは、それらの方便の教えをよりどころとしないで自灯明、法灯明の光だけをよりどころにしてしっかりと足元を照らしながら真実の世界を陽気に生きてほしい」というのが釈尊の究極の教えということになります。

佛教を学ぼうとする者は、釈尊が示した自灯明、法灯明という究極の大経典、文字のない世界共通の大経典が読み取れる謙虚な心を作ってから、太陽に学び、空気に学び、水に学び、万物万象に学ぶことが佛教信仰の第一歩になります。

宗教とは大もとの教えであって、いろいろの宗派に分裂することはあり得ない大宇宙の真理であります。
したがって宗教には固有名詞の必要はなく、太陽のように、月のように、空気のように宗派を越えたものが真の宗教であることを忘れてはなりません。

又、宗教は人間の欲望を充たすための道具ではありません。

世の中の多くの宗教が身体安全、家内安全、商売繁盛など盛りだくさんの人間の欲望を神佛に求めることを常としていますが、人間は祈らなくても生まれながらにして神佛の子であり、神佛と直結して生きているので、健康になりたい人は、健康になる法則にしたがって自分の心や体を磨けば良いのです。

家内安全を願うなら、その前に家内が心を合わせ、互いにいたわり合って人のために真心を出し、汗を出し、存分に社会に徳を積めば、祈らなくても幸福も健康も集まってきます。

佛教は祈りによって幸福を呼ぶ教えではなく、他人のために笑顔を施し、真心を施し、親切を施し、優しさを施し、智慧を施し、慈悲を施し、日頃の恩に感謝し、その恩に報いる心になれば、祈らなくとも運命は音を立てて変わってゆきます。

佛教は、人間をはじめとする万物万象の魂は不生不滅、不垢不浄、不増不減の生命であるといっています。
古着を返したあともまた新しい着物を借りに生まれに往く往生の旅を繰り返しているのです。

人間は、リンゴの花が咲いたり、散ったり、果実が実ったり、落ちたり次々とものが姿をかえてゆく現象に生死という文字を重ねていますが、佛教はこれを「諸行無常」と教えています。

又、そうした現象はリンゴがしているのではなく、リンゴの生命と直結している大宇宙の大生命が花を咲かせたり、果実を実らせたりしているのです。

佛教は、このことを「諸法無我」と教えております。

そして、この花が咲くときには花が咲くにまかせ、花が散るときには散るにまかせ、すべての現象をあるがままにそっくり受け取り、そのままけっこうと喜んで生きる姿を「寂滅為楽」と説いています。

この涅槃経を日本語に訳したのが「色は匂へど散りぬるを わが世誰ぞ常ならむ 有為の奥山今日越えて 浅き夢見し酔ひもせず」という皆様おなじみの「いろはうた」なのです。

このように佛教は有限の肉体の寿命をどのように美しく生きるか、どのように楽しく生きるかという真実の道を示したものであって、死後の地獄、極楽を説いたものではありません。

しかし、人間は自分以外のことでの諸行無常という真理はよく理解できるが、ひとたび自分自身のこととなると全く盲目となり、一寸先見えない闇の中に入ってしまうという悪行を積み重ねて来ました。
それが人類の歴史です。

そして、死ぬことのない自分自身の生命を見失って死後の世界を西方浄土に求めたり、地獄極楽に求めたり、支離滅裂の無知無明の人生を送っています。

人間はこのような有為(因縁によって生滅変化を繰り返している諸現象)の奥山今日越えて(大宇宙の摂理を正しく知って)浅き夢見し酔ひもせずの悟りの境地に達することが極めて重要でありますが、なかなか悟りきれないのが現実です。
なぜでしょうか。

これは地球が我がもの顔に独占している誤まった人間の生き方からくる因果応報の姿であります。

人類がこの誤まった道から脱出するには、佛教を正しく理解して万物万象が共生する平和で平等な地球国家を作り、盗品文明から足を洗うことが必要です。

そして同時代の太陽エネルギーを活かして万物万象と共に生きてゆく慈悲共生の世界を築くことです。
盗品文明を基準とした現代の人類社会は、必ず消滅してゆく不毛の人類社会なのです。

現在人類の犯している罪の最も大きいものは、地球を独占していること、国境を作って地下資源を盗掘していること、盗品文明によって地球環境を破壊していることの三つであります。

この三つの大罪はいずれも釈尊が示した自灯明、法灯明を無視して人間の我欲中心の政治、経済、文化というものが築いてきた結果の姿です。

一日も早い人類の目覚めと、有為の奥山を乗り越える美しい歌声が自灯明、法灯明の妙光を伴って人類社会の根底から沸き出ることを祈ってやみません。

                   引用終了

「いろは歌」

四十七文字 かな手本  涅槃経 訳文
  いろはにほへと    色は匂へど
  ちりぬるを       散りぬるを
  わかよたれそ     我が世誰ぞ
  つねならむ       常ならむ
  うゐのおくやま     有為の奥山
  けふこえて       今日越えて
  あさきゆめみし    浅き夢見じ
  ゑひもせす       酔ひもせず

涅槃経 原文

 諸行無常 是生滅法 生滅滅巳 寂滅為楽 

さて、この「いろは歌」「涅槃経」更には「般若心経」には作者が有りません。
作者が無いということは「我」が無いことになります。

「我」が無いため「大宇宙の摂理」として万人に受け入れられることが可能となります。









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Last updated  2010.05.25 21:02:09
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