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2011年07月10日
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死とはなんでしょうか

 死とは肉体的なことをいうのではありません。もちろん肉体の心臓が止まることに、関係はあります。だいたい、人間の死は、一つの世界の問題なのです。現世が一つの世界です。
 この世を去ることになりますと、いわゆる他界するのです。他界するとは、現世に生きていた人間の意識が、現世ではない条件の所へ入っていくことなのです。どんな世界へ入っていくのか、その原理的な事を言いますと、今人間は意識の世界に生きています。これは分かりやすく言えば、思いの世界にいるのです。
 生きているのは、思いです。意識です。現世では、人間は、肉体的に存在するという意識で生きているのです。これを般若心経で言いますと、五蘊になるのです。五蘊の世界に人間はいるのです。
 五蘊という考え方は何かといいますと、人間が現世に生まれてきた時の業(ごう)が、人間の五蘊に化けているのです。肉体的な状態で、人間はこの世へ生まれてきたのです。肉体的に存在する人間の世界へ生まれてきたのです。肉体的に生きると言う条件に、放り込まれたのです。
 この状態を魂といいます。魂とは、ギリシャ語でプシュケーといいまして、現実的に人間が生きている状態をさすのです。プシュケーという状態を押し付けられて、地上へ生まれてきたのです。だから、肉の思いで生きているのは当然なのです。
 これを仏教では、無明と言っているのです。無明とは肉の思いのことです。これが人間の業です。この世へ、肉の思いを持って生まれざるをえないような絶対条件を、神に押し付けられて、地上へ生まれてきたのです。
 大体この宇宙には、地球にあるような物質は、存在する必要がないのです。太陽系宇宙には、火星とか金星という地球に良く似た星がありますけれど、地球からずっと離れた、土星とか木星になりますと、ガス体のようなものになるのです。
 太陽系以外の宇宙になりますと、ほとんど全部ガス体と考えてもいいようです。物質現象は、地球周辺のごくわずかな星しかありません。しかも地球には物質があるだけでなくて、生命体がそのまま繁茂しているのです。地球それ自体が、生物なのです。地球は生きているのです。
 こういう世界へ、人間は放り込まれたのです。なぜ放り込まれたかといいますと、命の実体を弁えるため、宇宙生命の本質は何であるかを弁えるためなのです。宇宙生命の本質は、現在、人の心臓が動いているという事実なのです。これを弁えるためなのです。
 私たちは赤い花や青い花を見ますが、赤い花とか青い花は、周波数の違いなのです。周波数の値が、形になったり、色になったりしているのです。周波数を人間は目で見ているのです。それを人間は、物質だと思っているのです。
 人間が肉体的に生きていることは、徹頭徹尾、周波数の働きを肉体的に捉えていることなのです。その実体は何かといいますと、地球という存在全体が、周波数の塊であって、地球という物質があるのではないのです。人間の肉体があるのではないのです。
 すべての物質は、瞬間、瞬間、弁証法的に流れているのです。すべての物理的現象は、全部、流動的にしか存在しない。これが弁証法の原理です。つまり、一切空です。何もないのです。弁証法的に流動しているという、事柄があるだけなのです。
 ところが、人間は、肉体が存在するという気持ちで生きているのです。これを聖書は、肉の思いと言っています。
 肉の思いの実体を、死というのです。地球がある、自分の肉体があるという考えが、迷いです。迷っている人間の心理状態を端的に形容すれば、死となるのです。
 その気持ちを持ったままで、この世を去りますと、霊の世界へ入っていくことになります。
 実は、この宇宙には、物質現象は存在していないのです。弁証法的原理しか存在しないのです。弁証法的原理が霊なのです。霊なる地球を見ないで、本当の原理を捉まえない状態でこの世を去りますと、人間の意識が、宇宙の実体に調和しないことになるのです。そこで、霊魂の裁きが必然的に発生するのです。なぜ地球が存在するか。なぜ物理現象が地球にあるかという説明がいるのですが、常識や知識で考えているのが肉の思いであって、肉の思いによる記憶のままでこの世を去ってしまいますと、その魂は、果たすべき責任、義務を果たさないままで、この世を去ることになります。そうすると、大変なことになるのです。これが死後の世界なのです。



この宇宙に、地球、人間ができた原因はなんでしょうか

もともとこの宇宙には、死がなかったのです。生が本当の命であって、それ以外に物理的に現れた命はなかったのです。命の本質は霊なるものであって、霊というのはことがらです。
 目が見える、耳が聞こえることが、霊です。目に見えないけれど、無形の働きをしていることを、霊というのです。これが地球ができる前にあったのです。
 ところが、聖書によりますと、悪魔という言葉が使われているものがあるのです。悪魔というのは、悪そのもの、魔そのものであって、悪魔という日本語の訳は、非常に優秀な訳です。韓国語では、魔鬼といいます。魔鬼ですと魔だけを意味することになって、悪をあまり意味しないのです。天魔という言い方もありますが、悪魔という言い方が、非常にいいと思います。
 悪魔が死を創造したのです。死を造ったのです。悪魔は元は神の大天使であって、すぐれた能力を与えられていたのですが、その能力を自分の能力であるかのように、誤信してしまったのです。自分の力が偉いと思ったのです。
 そこで、神に対抗して、自分の思想を確立することを考えたのです。これが死です。逆性です。逆性とは、あるべき本来の姿に対して、自分の立場から、自己を主張することです。人間の自我意識が逆性です。逆性の本体が、死の法則です。
 死の法則が宇宙に発生したのです。これを神が撃滅しなければならない必要性が発生した。この時、弁証法的原理が発生したのです。神はテーゼであって、神に対するアンチテーゼが発生したのです。
 神と悪魔との闘いは、宇宙全体のスケールにおける大弁証法なのです。そういう形で、神と悪魔の闘いが始まった。これが天地創造の原理です。
本来、銀河系全体は、ガス体ばかりでした。地球はもともとなかったのです。現在、太陽系宇宙には、物質的な惑星はありますが、太陽系以外の星は、ほとんどガス体です。ガス体というのは、生でも死でもない、形なくむなしくという状態であって、茫々漠々とした存在なのです。これが本来の宇宙だったのです。
 これに対して、自分がいるという思想が発生した。悪魔によって自我意識が発生して、死ができたのです。この死を滅ぼす必要が起きたので、神が命を現象全体で表現しなければならない必要が起きたのです。
 現在、人間が見ているのは、現象的に現れた命を見ているのです。花の姿、太陽の輝き、森羅万象は現象的に現れた命であって、これは仮の姿です。仮の姿の背後に、朽ちない本当の命がある。これに気がついた人だけが、神の子として取り扱われて、永遠の命によみがえることを許される。これがキリスト計画です。色即是空が本当に分かった人が、空即是色が分かるのです。地球の歴史は、神の処置によって動いているのです。ユダヤ人を中心にして、神の処置による歴史が展開しているのであって、日本が中心ではないのです。アメリカが中心でもない。ユダヤ人が中心になっている。これが神の世界経綸です。
 そういう流れで、世界歴史が6000年間流れてきましたが、現在は神ということ、キリストが明確に捉えられていないのです。
 キリスト教は、カトリックもプロテスタントも、両方共、間違っています。本当の命が説かれていないのです。キリスト教ほど間違ったものはないのです。宗教的にキリストを扱ってしまったために、仏教よりももっと悪いものになってしまったのです。
 聖書を正しく読んでいきますと、死を破るために神が天地を創造したことが、明々白々にわかるのです。神が考えた思想が、そのまま太陽になって現われているのです。神の言葉がそのまま、有形的な物理現象になって現われているのです。太陽が存在することだけでも、聖書の科学的な証明はできるのです。
 日本人は、神の約束を全然知らないのです。約束によって、天地が造られている。約束によって、地球が自転、公転している。その宇宙構想を日本人は全然知らないのです。聖書を勉強している人はたくさんいますが、聖書を自分の命として扱っている人は、ほとんどいないのです。
 この宇宙に、地球、人間ができたのは、宇宙に発生した死を滅ぼすためなのです。命は事実であり、死が嘘であることを、はっきり証明するために、地球、人間ができたのです。






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Last updated  2011年07月10日 17時27分10秒
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