あれから3年。
久しぶりの更新で、すっかりやり方忘れてしまい・・・あの日から3年がたちました。ご心配おかけした皆様、近況などご報告せずに放置してしまいすみません。高台に自宅再建し、小さな家に家族水入らず和やかに生活しています。2回四季が移り行き、身の回りのものもそろいまして、落ち着いたなぁと感じます。震災後の思い出したくない日々、つらい毎日のことも傷が癒えるように・・・時に叫びたくなったり、急に泣いてしまったり、そんなこともようやくなくなりました。アロィは相変わらずのんびり、新居でも気に入った場所を一日移動しながらお昼寝三昧の毎日です。実家の老猫たち、世話する母が大変そうなので一番の問題児「意地悪なマキ13歳」を引き取り、アロとも仲良くやっています。アロも今年6月で11歳。元気とはいえ老猫2匹になりましたんで、健康に気遣ってあげないと・・・。実は私も震災後15kg近く体重が増え、体調も悪かったのですが、プールに週1~2回行って泳いだり歩いたりすることが気晴らしになりガチガチのセルライトで代謝もリンパの流れも最悪だったのですが、改善してきました。あのままの心と身体では、本当にまずい状態になると思いましたが、今は体を冷やさないよう、適度に運動やストレッチをするよう心がけています。■昨年のクリスマス。子供たちも元気。娘は震災のことを覚えていません。あの日、夜は弟家族が福島から帰省しお食い初めのお祝いをする予定でした。実家に泊まるよていだったので車の中に子供たちの2日分の着替えを積んでいました。あの日の今頃は、娘と海苔巻を作ってお昼に食べようとしていた頃かな。地震が来たときには、私は授乳しながらの寝かしつけ中。娘はDVDで「ニモ」を見ていました。揺れが激しくなったので、こたつの中に息子を突っ込み、娘にも入るよう言ってその後はボロ家ですから、このままつぶれて死ぬのだと思いました。こたつのテーブルをつかんで揺さぶられ、揺れがおさまるとすぐに逃げました。ミルク1缶と哺乳瓶2本だけ持って・・・・自宅は1階が工場の3階建てなので、帰宅すれば物は残っていると思っていました。あまく見ていた?現実には想像以上の津波が来た。3階の壁の真ん中の高さまで水の跡がついていてめちゃくちゃ。おもに生活していた2回部分はすっかりなくなっていました。毎年この日は、家族で震災を振り返り、危機管理も見直します。元自宅があった場所へ行き、亡くした子たちにごはんとお水をあげてきます。次にどこで遭うかわからない災害のために、ブログで被災してからのことを少しずつ書いていこうと思います。でも、ボチボチと。 あぁ、思い出しても落ち着いていられるようになったなぁ・・・。■アロとマキ。一日中あちこちでお昼寝。長生きしてください。