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年間スケジュールにも上げましたが、原田一樹演出、劇団東演「朗読劇 月光の夏」が8月に上演されます。
ひとあし先に先日舞台稽古を拝見させていただきました。 この芝居は太平洋戦争末期の特攻隊の話で、実話を元にした小説を脚本化、映画にもなっており、色々なプロジェクトで夏になると良く上演されていますが、 東演では8年前から上演されているそうです。 演出家は昨年亡くなった鈴木完一郎さんでした。 この芝居の演出を原田に託されました。 基本的には完一郎さんが作った形を踏襲し、諸処に原田演出をちりばめた……という感じでしょうか。 原田が一番最初に出会った演出家、演劇を一から学んだ師であり、沢山の作品をご一緒し、共感し反駁した……完さんの作品を、引き続き演出させていただける……。 不思議なご縁を感じます。 もし、ゼロから原田演出にさせてもらったら、「朗読劇 月光の夏」はどういう風になるのかなあ……、と思いながら観ていました。 この作品によって世間に明らかになった「振武寮」の存在が、当時の隊員や家族に与えた心的重圧と理不尽さを思いました。 そして「月光」はやっぱり良い曲だ。 お時間ありましたら是非。 それから、昨日は我が劇団の装置を担当してくださっている石原敬さん美術、Project Natter「我が友ヒットラー」を観てきました。 この作品は女性ばかり六名登場する「サド公爵夫人」と対をなして書かれたそうで、男性四名が登場します。 「そういうことをするのは、四六駢儷(べんれい)体を愛する私のシンメトリーの趣味であり大して深い意味はない」昭和44年浪曼劇場プログラムより。 大した意味なく、こんなに流麗な言葉を紡ぎ出せるものか! と思うばかりですが、これらの科白を実際に口にし演じるということは、それは大いなる「演技者」への挑戦状を作家から突きつけられていることになるのだろうと思います。 これは原田が「サド公爵夫人」を上演した時にも切々と感じたことでした。 【原田「サド公爵夫人」については ここや ここに】 同じく浪曼劇場プログラムによれば、 「こちたき政治悲劇をアレキサンドランで歌った「ブリタニキュス」風のもの(※)を、私は現代劇で書きたかった。男ばかりで色気がないから、四人の男に、それぞれカンどころで、長ゼリフのアリアを歌わせた。この長ゼリフの意味なんかどうでもよいが、俳優諸氏がこういうところでお客を酔わせてくれることを作者は期待する。」 と書かれている。 こういうことを書かれると、役者は浮き足立ち、いらぬ演技をするんだよ。 (*´▽`*) いいの!! ヒトのことは!! (;_;) 私も「サド公爵夫人」の科白で訓練してみようと思いました。 酔わせることを考える前に、滑舌が良く、かまない。基本。 特に三島は……、かんじゃいけねえ。 こちらのお客様たちは「我が友ヒットラー」をきちんと理解してから観に来ている感じがして、役者の色んな演技を楽しむ余裕があり、また集中していました。ラストの科白を言ったときの「くす」っという感じが、作品を楽しみに来ているんだなあ……と思わせました。 あ、それからこれを書かなきゃね。 この芝居は日本の作家〈三島由紀夫〉が書いたドイツ人の話を日本の役者が演じドイツ人〈ペーター・ゲスナー〉が演出する……というものでした。 (※)【こちたき政治悲劇をアレキサンドランで歌った「ブリタニキュス」風のもの】 意味がわからないから、全部ネット上で調べました。あとは自分で繋げてね。 ・こちたき……「こちたき」というのは「こと痛き」、痛きっていうのは程度がはなはだしい様です。 ・アレキサンドラン……詩における韻律の行、つまり詩行(詩句)の一種。バロック時代のドイツ文学や、近・現代のフランス語詩で一般的である。 ・ブリタニキュス……ラシーヌが書いたフランスの戯曲。キリスト教の迫害で知られるローマ皇帝のネロが悪へすすむことを決心し、政敵のブリタニキュスを殺害するというストーリー。 7/14記ンダーに新規スケジュールアップしました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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