テーマ:横浜の街から(1940)
カテゴリ:街
家の近所の農業専用地区の奥まった場所に短いトンネルがあります。
横浜は岡が多いのですが、横須賀ほど急峻ではないので意外とトンネルは多くないのですが・・・ みたところ、ごくごく普通のトンネルです。がっちり固めてあります。 「迎陽隧道」42mですから短いですね。 古さも感じません。 トンネルを抜けると鎌倉街道という幹線道路に抜けます。隧道が抜ける前は山越えルートか遠回りしかなかったようです。 実はこのトンネル、もっと古くからあったそうです。 明治末期、野庭のあたりでは亜炭(褐炭)の採掘があり、その輸送のためにショートカットできるルートが必要だったと思われます。そのためツルハシなどの手掘りで数本の隧道が掘られ、大正4年に迎陽隧道が完成しました。その後の震災で迎陽隧道以外は崩れてしまったそうですが・・・。 その辺の経緯が書かれたものが貼ってありました。 オリジナルの銘板が鎌倉街道側の壁面に埋め込まれています。大正4年秋とありますね。その後狭かったものを拡幅し強化し昭和53年に改修が終了したということです。大正4年に完成して見えた隧道の向こうの風景はどんなだったのでしょうね。 ところで、この亜炭(褐炭)の採掘は大正7~8年がピークで、横浜南部の一部などに採掘場があったそうです。大戦中まで採掘はされていたようで、その後放置されたような採掘跡のトンネルが小学校近くの崖に並んでいましたっけ。当時は防空壕の跡くらいにか思っていなかったのですが・・・。 ブログランキング参加中です。上のボタンをポチッとクリックお願いします!
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最終更新日
2017.09.24 07:50:06
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