テーマ:横浜の街から(1939)
カテゴリ:海
港横浜。豪華客船やみなとみらいが脚光を浴びる中、僕の中での横浜と言えば・・・・
艀、コンテナ船が主流になる前は貨物の積み下ろしは艀を介して行われていました。横浜は貿易港でもありますから、ピーク時にはおびただしい数の艀があって堀割川や中村川にまで係留されていました。それがコンテナ船の台頭で艀はあっという間に消滅。いや、まだ新山下に残っています。今も現役で活躍しています。ただ、さすがに年季が入った風貌になってきましたが‥ 新山下あたりは、昔の横浜の色合いが濃く残ります。ただ、山下埠頭などから徐々に様子を変えようとしてはいますが。 艀はボロボロに錆びています。艀が全盛だった昭和30~40年代は、枕木や木製電柱などは防腐のためコールタールが塗られていました。艀もまたコールタールでは無いでしょうが同じトーン、黒で塗られています。黒というのは昭和中期カラーなのかもしれませんね。 艀自体は動力を持っておらず、移動にはタグボートなどで引かれることになります。この日も1艘の艀が引かれていきました。数は激減しましたが、いまだに物流の一端を担っているようです。 ブログランキング参加中です。上のボタンをポチッとクリックお願いします!
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最終更新日
2018.10.25 07:50:08
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