カテゴリ:岩国周辺
城跡は城山山上にあり、天守閣は昭和37年に再建されたものですが 市街地や錦帯橋から望見できるようにと 本丸北隅にあった本来の場所ではなく 東寄りの町が見渡せる位置に建てられています。 吉川広家が慶長5年(1600)関が原の戦いの後に米子から転封され 岩国で城と城下町の建設に着手しました。 城は横山頂上を本丸として 三層四階の上に望楼を置く南蛮様式の天主、 五つの櫓、三つの城門を建て石塁を巡らせました。 城山の麓には居館、上級、中流武家屋敷を構え、錦川を外濠として 川向こうには城下町の町割りを行い 下級武家屋敷を作りました。 (ロープウエイ山麓駅近くにある 旧目加田家住宅(重文)は1700年代の 中流武士階級の屋敷です) しかし元和元年(1615)幕府は一国一城令を出し、 毛利家は萩の指月城以外を破棄せざるをえなくなり 岩国城は僅か7年で破却という憂き目に遭いました。 歴代の藩主は麓の居館に住み藩政を担いました。 (吉香公園の「錦雲閣」は藩主を守る櫓でしたし、 家老であった香川氏の屋敷長屋門「香川家長屋門」も残っています。) 天守閣の内部は刀剣や武具、甲冑類の展示があります。 吉川氏は3万石を領していましたが 小藩だけに幕府より大名扱いされず 諸国の大名が他藩の城下を通る時は、行列の槍を倒すのが礼儀だったのに 小藩だからとナメられて素通りされ続けたので(^^;) 錦帯橋の袂に 槍を倒さないと通行出来ないように「槍倒しの松」が植えられた。 というエピソードもあります。 (「槍倒しの松」は今もありますので錦帯橋横山側の下流方をご覧下さい) 旧天守台 本丸北隅には本来の天守台も残っています。 古式穴太積み(こしきあのうづみ)という石積みを基本としながらも、 戦国時代に 地方独自の石積みの技術が加わった形で作られました。 天守台の石垣は 大き目の石と 隙間に詰めた小さ目の石からなり 隅部の角石は算木積みの技法が見られます。その隅部には反りは無く ほぼ直線状の綾線に仕上げられ 見掛けの美しさよりも 構造力学上の安全性を重視した造りになっています。 戦国武将吉川氏の石垣の力強さを垣間見ることができます。 大釣井(写真左上) 慶長13年 岩国城築城と同時に作られた井戸で 非常時の武器、弾薬の収納を図るとともに 敵に包囲されたり 落城の危機にさらされた場合 出口を備えた井戸であったとも伝えられています。 空堀(写真右上) 岩国城は 江戸時代初期に築かれましたが この頃は平城が主体で 山頂に城郭を築き 防衛を主体とした空堀を築造したものは珍しいようです。 岩国城の空堀は、幅約19.6m 深さ約10mで 日本最大の箱堀構造で 明らかに敵の鉄砲による砲撃を意識して造られたものです。 石垣は空堀の部分には築造されていません。 写真左から 城山山頂への登山路 城山山頂からくり時計 天守閣東南方 岩国城は2006年2月 (財)日本城郭協会の日本百名城の一つに選定されました。 山麓の吉香公園から標高約200mの横山山頂まではロープウェイがあります。 料金(往復):大人540円・小学生250円、(障害者割引制度あり) お得なセット券(錦帯橋・ロープウェー・天守閣)もあります。 人気blogランキング参加中です(^.^)> 気に入って頂けたらクリックお願いします 日本百名城(DVD) 岩国国際観光ホテル日本一の名橋『錦帯橋』のそばに位置するホテルです。 半月庵錦帯橋近くに位置し、宇野千代作小説「おはん」に登場する館です。 岩国国際観光ホテル 別館 開花亭錦帯橋に位置し、四季美しく変化する風景にとけこんだ静かなお宿です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 11, 2006 06:32:24 AM
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