カテゴリ:ベジ料理
昨日の日記の最後に書いた、“シャンティシャンティ"の話です。
お風呂の事でずっと悩んでいました。 直感一発GOGO!の私にはめずらしい事です。 Kさんとの間で“薪風呂がいいね!"という話になったのだけど シダモさんが乗り気じゃない。 薪は集めるのが大変、ガスの方が安いし…などと言う。 ちょいちょいちょい、なんで今さらそんな事言うのー?と 私がガックリ来る発言を、最近、シダモさんはする。 シダモさんって実は全然わかってなかったのか?と思うような発言。 これは何かの特訓か? シダモさんとこんなにもしょっちゅう意見が合わないのは、 1つには、私の凶暴性を治せという意味だろう。 (シダモさんにとっては別の意味があるだろう) シダモさんとは、一度でまとまらない事が多い。 話しても意味がわかってもらえない事も多い。 そして私は、 「おまえのアタマはどーなってんのじゃあ!一辺診てもらって来いやー!」と、 荒れ狂う「罵倒観音」(@中山さん)に豹変し、 シダモさんの シダモさんはドMなので、 そんな事があると目がらんらんと輝いて生気が出てくるけど^^; 私はSじゃないので、落ち込んで反省するのです。 そんなこんなで^^;、 何日も薪風呂の事を調べまくっていたある晩、夢を見ました。 お風呂場のようなビジョンと、「シャンティ…」という言葉、 続いて、火葬のようなビジョンと、 「シャンティシャンティ…」という言葉、 そしてその意味が、テレパシー的に伝わって来ました。 手作りで、愛があって、自然に調和していたら「シャンティ」だよ。 「シャンティ」の状態ならば、なにも心配する事ないよ。 …と。 今まで感じた事がない、女性的な優しいエネルギー。 これこそ「女神のエネルギー」でした。 色なら半透明な薄ピンク。 もしかしたら、これがミロクのエネルギー… 目が覚めた時、とても気分のいい穏やかな気持ちで、 嬉しくて、シダモさんに話したのです。 「シャンティ」は、たぶんインドの言葉?と思ったけれど、知らない言葉でした。 シダモさんが調べたら、やはりインドの言葉で、 シャンティは、「大いなる平安」「全ては祝福されている」というような意味、 シャンティシャンティは「ダイジョブダイジョブ♪」というような意味のようです。 私が、薪や煙突で火事を起こしたら怖いと心配していたので インドの女神さまか誰かが励ましに来てくれたのでしょう。 別次元の、インドの聖者の私自身かもしれません。 夢の効果はバッチリで、 私の火の心配は消えて、火と親しむ事への楽しみに変わりました。 お風呂の件はこの後も2転3転あって なかなか進まなかったのですが、 その度に「シャンティシャンティ♪」と思っていたら ある時からトントン拍子に進み、今の形になりました。 今回、私にしては難しい現実創造で、勉強になりました。 いやまだ勉強中です。 自分の直感を信じ切れていなくて、迷うと、 その分だけ現実創造もややっこしくなる。 でも人と意見が合わない時、どうすればいい? たぶん、ちょっと止まって、天に委ねてみる事かな。 私の現実創造は、スムーズ、簡単、サクサクが理想。 シダモさんは苦労して達成感を感じたい面がある。 (そっか!だから進んだと思うと後退しちゃうのか!?) 拾う薪一つでも、 シダモさんは太い木を拾って、割ったり干したり手間をかけたい。 その気持ちもわかる。 でも私は、拾いやすく使いやすい小枝ばかり拾う。 (探さなくてもそういう枝が目に止まるずら^^) 2人のこの違いがあるから、 私1人の時よりも、時間がかかったり、2転3転する。 シダモさんのガンジス河みたいなゆったり感は素敵で、 「いい男だなぁー」と思う所でもある。 薪にたとえれば、シダモさんは太い薪で、ゆっくり長く燃えるのかも。 一方、私はすぐ燃え、冷めるまもなく次々に枝を足しながら燃える。 どちらも、根は激しく強い面があるんだけど、 私の方が一見、激しく強そう。シダモさんは穏やかそう。 どっちがいい悪いじゃなく、個性の違い。 私は、苦労や回り道する楽しさはもう卒業したと思ってて スムーズに楽に行く事を選んでる。 けど、人が楽しいと感じる事も尊重しなさいね、 一人で生きてるんじゃないよ、という学びなんだと思う。 :::::: 後日、お日様ぽかぽか気持ちいい日、 庭にしゃがんでアロエを植えていた時、 また「シャンティ~♪」と聞こえ(自分の内側から)ました。 色っぽく囁くトーン。 そっかそっか、こういう感じが「シャンティ」なんだね。 ゆったり悠々、大地と繋がってるこの感じ。 「大いなる平安」だねー。 ::::::: この夢にはもう一つのメッセージがあった事に あとで気づきました。 どうして“火葬"のビジョンだったのかという事。 少し前の日記に書いたように、埋葬の事を不服に思っていたので、 そのアドバイスだったのです。 薪のお風呂は「シャンティ」だけど、 人のお葬式もそれと同じ。 手作りで、愛があって、自然と調和していたらこの上なく最高、 「シャンティシャンティだよ」って。 深いメッセージだったのです。 確かに、今までのお葬式は形式に囚われすぎで、愛に欠ける。 手作り感覚も少ない。 (最近、お花の祭壇とか個性的になってて、いい傾向だね) そして、自然と調和した埋葬ってどういうのだろう。 土葬でも火葬でもいいけれど、 やはり私は、全部土に還すのがベストだと思う。 答えは自分で出しなさいって事だね、いつの時も。 もし、お寺からそういう提案があったら 今度は迷わずお骨(父の)を土に還してもらう。 ビジョン持ち、アンテナ立てていよう。 うーん、シャンティシャンティ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年11月08日 22時27分22秒
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