喜文治の「自分のあやし方」

2019/02/10(日)04:15

「 偏り(かたより)」

​この世には  偏りの無い  道など  無いんだよ  ねぇ 教育もそう  宗教もそう 右に  偏ったり  左に  偏ったり  上下に  偏ったり 傾斜とか  歪(ゆが)みで  複雑に  道が  出来ているの でも  自分だけは  その傾斜や  歪みを  平坦と  捉えて 真っ直ぐ  歩いている  つもりだから 時々  衝突するし  ずっこけるんだよ  ねぇ 傾斜  している  道を  歪んでいる  道を 傾斜した  心で  歪んだ  心で  進めば   一瞬は  平坦に  感じる  事も  あるかもね この世の中は  傾いて  いるんだ  歪んで  いるんだと  理解し なるべく  自分の  傾斜や  歪みを  自分で  補正し 生きて  行くしか  無いんだよ  ねぇ 人間塾 喜文治 絶対の水平も無ければ、絶対な垂直も無いのが、この娑婆世界なんだろうねぇ。 そこを何とか、自分は真っ直ぐに、歩いて行きたいけど、難しいよねぇ~? 何でこんな絶対の無い娑婆を、神仏は作ったのでしょうねえ?修行の為かなぁ? ​

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