喜文治の「自分のあやし方」

2019/03/15(金)04:09

「 細々した事 」

​食べたら  出す  寝たら  起きる  使ったら  片付ける 汚れたら  洗う  出掛けたら  戻る 兎に角  目が  覚めてから  床に  着くまで 来る日も  来る日も  同じ様な  事の  繰り返して  行く  事が 生きると  言う  事らしい まとめて  寝る  事も  まとめて  喰う  事も  出来ず 一日  一日  細々した  事の  繰り返し でも  似てるから  昨日と  同じかと  言えば  違うよね 一日  経てば  一日分  自分の  命日に  近付いて  いるの それで  良いんか  自分と  問い  質(ただ)して  みても 勢いに  任せて  勝手  気ままに  生きて来て これで  良いのか  自分を  責めて  みても  答えなんか  無いの 人生の  答えは  出ないし  生きる  意味も  分からない  まま 実に  面倒臭い  人生が  終って  逝くのかなぁ その内  自分で  自分が  分からなく  なって 遠い  世界へ  旅立って  逝く  事に  なるのだろう  ねぇ そして  閻魔裁判所で  やっと  思い出して 「しまった~ぁ~」って  ならなければ  良いのだけれど  ねぇ 人間塾 喜文治 人様のお役にも立てず、お世話も出来ず、周りに迷惑だけは、一人前以上に掛け、 お別れしなきゃいけないなんって、何って格好悪いの? 何って惨めなの? それが生きると言う事? もっと格好良い役、やりたかったなぁ~。 ​

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