|
カテゴリ:カテゴリ未分類
この世には 人間の 作った 規則は あるけど
それ以外は 何の 制限も 規制も 無いの だから 人の 生き方 なんんて 何でも ありなんだと もし 感情のまま 煩悩のまま 振る舞ったら それはもう 人とは 言えない 人間とは 呼べない だろうね ある時は 餓鬼であり 畜生であり 地獄であり 阿修羅で あるでしょう どう 生きて 見ても 苦しみや 迷いから 逃れられない 2600年程前 お釈迦様が 生きる 苦から 逃れる為に 導き出された 教えが 仏教と 呼ばれて 続いている どう生きるか どう生きたら 良いのか 全部 理解する 等とは 常人じゃ 絶対無理 気に入った 所だけ 摘み食いして 無法世界を 生き抜けば 良いの もし 神仏からの 生きる為の 道標があると すれば 仏教も その一つかも しれないね 生きている 内に 全部理解 出来たら その瞬間 即身成仏して 極楽浄土の 奥の院で お釈迦様や 阿弥陀様と 並んじゃうよ こちらは ただの凡夫 仏教の 良いとこ取り して 生き方に 心柱として 無法世界を 生きて 行けば 良いの カンニングだ 等と 責められる どころか よく 取り込んで 顔晴ったねと 褒めて 貰える かもね 人間塾 自分のあやし方 喜文治 昔、朝夕、お婆ちゃんがお家の仏壇の前で、ブツブツと何かを唱えていたぁ。 家族の話の中にも、ちょくちょく、地獄や仏様の話が出て身近だった。 みんな貧しかったけれど、信仰があり、心は温かく豊かだったのかもね? 今は、物は豊かだけれど、信仰を見失い、心は疲れているのかも、しれないね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年09月18日 02時39分14秒
コメント(0) | コメントを書く |