|
カテゴリ:カテゴリ未分類
群盲像を評す
数人の 盲人が 像の一分だけを 触って 感想を 語り合うと 言う インドの寓話が あるそうです 正に 仏教が 像で 経典が 7千8千と 成れば 並みの 僧侶では 全部を 掌握し 語るとは 叶わぬ事 其々が 触れた 像の印象を 語っても 像の実態は 伝わる筈が ございません インドで 2600年程前に 釈迦が 悟られた事を 伝え様と するも 聞く側の 理解力に 依って 様々な 解釈がなされ 色んな 宗派が 発生した のでは ないだろうか だから 一部は 正しくても 凡夫には 像は伝わらないのが 実体だと思う 大体 7千も 8千もの 確信が 有る訳でなく 殆どが 確信を 補足する為の 例え話じゃ ないだろうか その例え話を 確信のごとく 語られても 益々 複雑怪奇に 陥ってしまう その確信とは 一体なんだろうか その一つが 「後生の一大事」と言う 真の幸せを得て お浄土に 救われる 事であり もう一つは この世は 「諸行無常」であると 言う事であり もう一つは 「因果の道理」で 良いも悪いも 全て 自分の種蒔きの 結果だと 言う事かなぁ~? まだあると 思いますが これから 勉強して 行きたいと 思っています 人間塾 自分のあやし方 確信・核心は、十や二十はあると思うけど、理解できるかどうか? 自分次第なんだろうねぇ~? 問題はそれを知る知らないじゃなく 如何にこの世で実践して、お浄土へ辿り着けるかどうかだと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年01月27日 04時48分36秒
コメント(0) | コメントを書く |