今日は何の日:ハワイ移民出発の日(1885年)
今日1月27日は1885(明治18)年、移民条約によるハワイへの移民第一号の船が横浜港を出航した日です(到着は2月8日)。当時の資料によると、この時に渡航した人数は944人。その内訳は成人男性682人、成人女性164人、子供98人だったそうです。当時、農村は全国的に凶作であったため、全国から多くのの応募があったようです。その中から渡航を許された者を出身県別に見ると、山口県420人、広島県222人と記録されており、この両県出身者だけで64%を占め、特に山口県は1県だけで44%を占めておりました。また、山口県の中でも、大島郡周防大島からは約300人が参加しています。この島からはこれ以後約10年間で3900人が官約移民でハワイに移住、後に周防大島は「ハワイ移民の島」とさえ言われるようになりました。 ハワイ官約移民は、1894(明治27)年の第26回船で最終となりますが、その間、約2万9000人がハワイに渡りました。そのうち、約2割が女性だったようです。移民船の回数が増えていくに従って、移民の出身県は多様化していきますが、それでも広島、山口、熊本、福岡など西日本の各県が多数を占めていました。これらの各県の指導者がハワイへの移民を積極的に奨励したためでもあったようです。この後は1900年まで民約移民の渡航が始まりました。しかしハワイ革命以降、当時湧き上がっていた本土における排日運動も手伝い、1907年には民約移民渡航禁止する協定が結ばれました。その後は1924年の移民全面禁止協定が結ばれるまで、いわゆる血縁を頼って渡航する「呼び寄せ」のみの渡航が許され、組織だった渡航は行うことができなくなったそうです。 ハワイに渡航したもの中には貿易などを行い大変な成功を収めたものもおりましたが、それはごく一握りで、その多くはサトウキビなどのプランテーションに従事し、貧しい暮らしを強いられました。特に民約や「呼び寄せ」による渡航者は官約移民とは異なり、ハワイ政府(その後合衆国政府)と日本国の間で交わされた労働基準によって守られていなかったため、その暮らしは悲惨を極めたと言われています。(引用参考文献)パウ・ハナ―ハワイ移民の社会史 刀水歴史全書ロナルド タカキ (著), Ronald Takaki (原著), 富田 虎男 (翻訳), 白井 洋子 (翻訳) 刀水書房 1986年ハワイ移民佐藤常蔵書翰―近代日本人海外移民史料柳田 利夫 (著), 赤木 妙子 (著) 慶応通信 2000年(こんなHPあります)日本ハワイ移民資料館http://www.town.oshima.yamaguchi.jp/hawaii/