テーマ:サッカーあれこれ(19777)
カテゴリ:サッカー
「地球一のサッカーを見よう」
なんて毎日しつこいくらい宣伝している FIFAクラブ・ワールド・チャンピオンシップも 今日で最終日。 決勝のカードは南米代表、ブラジルのサンパウロFCと 欧州代表、イングランドのリヴァプールFC。 どちらも超名門。 ブラジルのサッカーも大好きだが やはり今回はビートルズの故郷であるリヴァプールを 応援したい。 2000年3月、イングランドを訪れた際、当然のように リヴァプールに出向いた。宿泊していたマンチェスターから 電車に乗って1時間。 当時、港町リヴァプールは失業者が増え 治安も悪化していると聞いていた。 しかし実際に訪れ、人々と接したら全然違う印象だった。 私は大雑把な地図を片手に ひとりでストロベリーフィールズを目指していた。 ジョン・レノンが幼少の頃、思い出を沢山作った場所だ。 寒い中歩いていると一人の男性に声をかけられた。 「どこへ行きたい?」 「ストロベリーフィールズです」 「ああ、案内するよ。帰り道だ。どこから来た?」 「日本です」 「おお、俺んちのテレビはソニー、クルマはホンダだぞ」 10分くらいの短い時間だったが、簡単なコミュニケーション。 現地に着くと別れ際に 「おい、写真撮るのに夢中になって 後ずさりするだろ?それでクルマに轢かれた日本人が いたんだよ。オマエも気をつけろよ」 笑顔を残して去っていった。 翌日はアンフィールドというスタジアムに向かった。 その旅行中はスケジュールの都合でリヴァプールの 試合を観ることが出来なかった。仕方ないので スタジアムだけでも拝んで帰ろうと地下鉄に乗り込んだ。 しかし、最寄の駅を前に地下鉄はトラブルでストップ。 いきなり全員降りろといわれ、ワケも分からず下車。 ここ何処だよ? 他の乗客は手配されたバスに乗り込んでいる。 しかし、私はそんなのに乗って果たして平気なのか 不安になり、これまた簡単な地図を見ながら歩き始めた。 しばらくすると、急に不安になってきた。 空き地が多い寂しい場所で、空は曇天。 乳母車を押す御夫人に遭遇したので 道を尋ねた。すると御婦人は驚いて 「あそこまで歩くの?無理無理!」 「いや、時間もあるので歩きたいんです」 ウソである。ただ単に経費削減したかっただけ。 御夫人は私に念を押すように 「あの道に出ればタクシーが捕まるから乗りなさいよ」 地元の人の忠告だから、素直に聞こう。 運良くクラシック・スタイルのタクシーが捕まったので 乗り込んだ。チップを含めて日本円で1000円くらい払った。 なるほど、かなり距離があったな。 私はリヴァプールを歩いた2日間、ずっとひとりだったが 孤独感とは無縁だった。 そんなこともあり、リヴァプールを贔屓にするのは 私にとって必然である。 悲しい過去も経験したチームだ。 『ヘイゼルの悲劇』 1985年5月、ベルギー・ブリュッセルにある ヘイゼル・スタジアムで起こった事件。 UEFAチャンピオンズカップ決勝戦、リヴァプール対ユヴェントス。 サポーター同士が小競り合いをきっかけに暴徒化。 リヴァプールのサポーターがユヴェントス側の観客席に なだれ込み、サポーター同士が衝突する事態に発展。 死者39名、負傷者400名以上という大惨事に。 この事件後、イングランドのクラブは5年間国際大会への 出場を禁じられた。 『ヒルズボロの悲劇』 1989年4月、イングランド・シェフィールドの ヒルズボロ・スタジアムで起きた事故。 FAカップ準決勝、リヴァプール対ノッティンガム・フォレスト。 試合が始まって僅か6分後に主審が試合の中断を命じた。 その時スタンドでは観客が立見席に押し寄せ混乱状態に。 人波やフェンスに圧迫され97人が圧死、 負傷者200人以上を出してしまう大惨事となってしまった。 現在、アンフィールドの一角には祈念碑が建てられている。 悲劇を乗り越え、リヴァプールは世界の頂点まで あと一歩まで迫った。 熱狂的なサポーター達は「コップ」と呼ばれる ゴール裏の一層式スタンドで、ハーフタイムに 「You’ll never walk alone」を熱唱する。 (歌詞和訳) 嵐のときも顔を上げて歩こう 暗闇を恐れずに 嵐が過ぎ去ったとき 空は輝き ひばりがさえずる 風の中でも雨の中でも進もう 夢を失いそうでも 希望を持って 歩こう 君はひとりじゃない 絶対にひとりじゃない 1945年に制作されたブロードウェイミュージカル 「回転木馬」で使用され、1963年にビートルズと同じ リヴァプールの出身であるジェリー&ザ・ペースメイカーズ によって歌われヒットした曲。 今夜、嵐の中をくぐり抜けた赤いユニフォームが 世界で初めての栄冠を勝ち取れるだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[サッカー] カテゴリの最新記事
|
|