エリザ号遭難現場 1798年(寛政10)10月17日夕方長崎湾口でオランダ東インド会社の帆船エリザ号が俄の嵐のため座礁し沈没しました。これを翌1799年始めに見事引き揚げた防州(山口県徳山市櫛ケ浜)の村井喜右衛門について書かれた「蛮喜和合楽」があります。以下これを紹介します。 寛政10年戊午10月、オランダ船、長崎沖高鉾島脇において風波つよく沈没す。数万斤の銅、そのほか諸品を積みしかば、これを引き揚ぐること人力の及ぶところにあらず。このままに海底にて朽ち果つるばかりなり。しかるに傑出の人ありて、この沈みしオランダ船を無難に引き揚げたり。この精力の手段古今未曾有、真に国家の至宝なりと、万国これを称美し、すなわち御仁政の余光、御恩沢を尊み奉る。この来由の始末行状をことごとく記し、蛮喜和合楽と標題し、上中下3葉にわかち、その画図をつぶさにして、四方の君子の亀鑒(きかん…手本、模範)に備うること次に記すごとし。 蛮舶卸貨図 次へ 【毎日開催】
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