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会寧碗

会寧碗

 「会寧碗」

 これは今でいう北朝鮮の中国国境に近い会寧の窯で焼かれた碗です。もっとも朝鮮が不幸なことにふたつの国に分かれたのはこれよりもよほど後のことですが、国交のない現在ではあの政治体制下でこのような手仕事がいったいどうなっているのか、ということは残念なことに知る由もないことです。これは何も現在の日本でお茶道具のことを語るほどに風雅で趣味的なことなどではなく、もっと民族の生活に密着した日常の暮らしの問題です。
 日本では茶碗は茶道の歴史もあり、精神性を伴った特別な器物としてとらえられてはいますが、中でも高麗茶碗と呼ばれる朝鮮時代初期の碗と、日本では唐津の碗などが特に尊ばれています。会寧のものは茶の歴史に取り上げられていないようですが、取り上げられたさまざまな高麗茶碗と同じ時代同じ民族によって作られた碗でもありますし、間違いなく唐津の源流のひとつでもあります。
 茶道は鋭い眼力で数々のものを創造的に取り上げましたが、楽茶碗しかり、萩焼しかり、創作にはことごとくしくじったようです。唐津にしても初期の碗と比べれば、茶意識以後の碗がいかにもみすぼらしいものであるのはどうしようもない事実です。
 利休以前に侘び茶は禅を背景として始まったのですが、現代では千家の茶が主流であることから茶聖ともあがめられる利休は、庭を掃き清めたあとに一枚の落ち葉を置くことを忘れない人でした。この話は彼の美意識の鋭さと共に、すでに彼の茶が禅味を失っていることを示しています。「茶禅一味」などというスローガンとは裏腹に現代の茶はすっかりいやらしい造作の茶となり果てました。
 
 さて前置きが長くなりましたがここで紹介する碗はちょうど茶碗にふさわしい姿と大きさをしていますが、もちろん茶道とは関係なく生まれてきた日常雑器です。寒い彼の地で中の食べ物を冷めにくくするためか、かなり分厚く作られて、さらにはたっぷりと藁灰と思われる釉薬が掛けられています。また、冷めれば直接火に掛けた、といわれていますが、確かにこの碗にも底には煤が染みこみ、いくつかの亀裂も走って、そのような激しい労働の跡が見受けられます。また内側の底は金属のスプーンで長年に渡って擦られたためか釉薬がだいぶんすれて荒れていますし、口辺にはいくつもの欠けがありました。
 この碗が自分のところに来たときにすでにそれには古い金直しが施されていましたが、漆がやつれてそのうちいくつかははずれていました。このことからすると、朝鮮の地で当たり前の雑器としてさんざん使い込まれた後に、おそらくは昭和前期頃に日本に入って大切に扱われてきたものではないかと思われます。
 新たに大切に伝えるために、これらの傷を漆芸家に修理に預けました。数えてみると大小16もの傷があるのを丁寧に金直ししていただきました。寒い冬、この碗を両手で抱え込むと暖かさがじんわりと手に伝わってくるのです。
 直径143ミリ、高さ82ミリ  朝鮮の会寧の窯 李氏朝鮮時代後期の作でしょうか。
                              (02.10.7)


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