生畑皿山通信

2007/10/12(金)17:34

たまねぎ

日常のこと(87)

 今日の活け花  タマネギのスープ煮  さすがにことこと煮たものは活け花とは言えないだろうと・・・  うん、やっぱり活け花じゃないなこれは。。。(笑)  ところでこの写真はどこかで見たような、と思う方もあるかもしれませんね(笑)  実はとある方のブログでおんなじような写真を見てあんまり美味しそうなのと柔らかいタマネギにスプーンが入る感じや舌の上でとろけるような感じが想像されたのでそっくりそのまま真似してみたのです。  昔から文芸でも音楽でも美術でも最先端の工業技術でも真似が問題になっていますね。 ところが考えてみればなんらかの新しい発見や工夫と同時に真似の集積こそが人間の獲得した共有の文化なのです。時代の様式や国や地方固有の文化が熟成されるのはまさにこのこと以外の理由ではありえません。  こういうことが盗作とか著作権や知的所有権の侵害などの問題となるのは、比較的近代の主我主義の所産でこれはこれで問題が多いというふうに思っています。  自分の専門分野であるやきもので考えてみると、例えばぼくがイギリスのスリップウェアだとか唐津の茶碗だとかそういうものに大変魅かれて、それは実際にはほとんど不可能ではありますが肉薄するようなものを仮に作ったとしても、あるいは個性のない写し物のつまらぬ作家とのそしりは受けるかもしれませんがなんら問題があるということにはなりません。ところが誰か売れっ子作家の作風をそっくり真似た仕事をしたとしたらとたんに問題となるでしょう。つまりはオリジナルを主張する主体の有無の問題なのです。  ぼく自身も誰かとそっくりなものを作ろうと思わないのは面倒に巻き込まれたくないというよりは無意識的にも自負心のようなものの抑制が働いている訳で、これはやはり主我主義の内側に生きているゆえに違いありません。よいものがあれば皆で共有のものとして深めてゆくほうが余程健全な在り方ではあり、思えばもったいなく哀れなことです。  お能でも民謡でも郷土料理でもこういうふうにして何百年も伝わってきたのです。が、かと言って人のオリジナリティーの強いものを自分のオリジナルであるかのようにごまかすのはまた別問題です。  それはともかく、料理のほうは本物のほうがずっと綺麗に出来ていて美味しそうでしたが、これも充分美味しくいただきました。とろとろになったタマネギを崩して食べるのも楽しい料理です。写真もそのままなるべく似せて撮ってみたのでもしも本物の人に怒られたら削除ですよこれは。。。  うつわはイタリアの量産品。幅広く水平なリムのバランスとこういう白無地の洋食器の割にはたっぷり厚手なのが気に入ってます。

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