カテゴリ:ベリーの独り言
昨日。
午後になってやっと起きた私は、終戦記念日だったことに気が付いた。 正午も過ぎてしまっていたので、黙祷をささげたわけでもないが、その日を「意識」する。 それが、私の過ごし方だ。 それは、母が教えてくれた。 どこにいても、(手を合わすなど)形を表さなくてもいいから、ちゃんと覚えておいてね、と。 夜。 NHK国際放送を付けながら、扇風機の掃除をしていた。 ほこりを取り除きながら、テレビから聞こえてくる声に耳を傾ける。 一心に磨いていると、涙があふれてきた。 何度も聞いた戦争の話。 だけど、思いは毎年繰り返される。 生徒に軍国教育を施し、生き残った教師。 彼は、教育が間違っていたことを痛感する。 どうしてこうなってしまったのか? 教え子が多数亡くなった中、どうして自分だけが生き残ったのか? 疎開のおかげで、家族の中で一人だけ生き残った少女。 何度もあの世に逝って家族に会いたいと思った。 だけど。 そうしたら、せっかく残ったこの命のリレーが消えてしまう。 私は、家族が生きていた証を残したい! その思いで、父の手紙を資料館に寄付した。 ・・・・・ 戦後59年。 語られる、戦争の悲惨さ。 この「思い」は、皆に届いているだろうか? そしてまた、台湾から見たこの太平洋戦争は、日本本土から見たものと違ったものとなる。 加害者としての戦争。 私たちには、知るべきことがたくさんある。 この「思い」を途切れせたくない。 命のリレーを絶やさずに頑張った人がいたからこそ、今の私たちがある。 生まれてこなかったかもしれない命。 それが、この命だ。 それを、粗末になど、到底できない。 その考えながら、必死に扇風機を磨いていたのだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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