|
テーマ:日本史について語ろう!(97)
カテゴリ:縄文時代~古墳時代
大和政権というコトバを今までよく使ってきましたが、いまいち不透明でとらえどころのないこの団体。というのも、私の説明から読み取れたのは、
「構成メンバーは大王と豪族で、前方後円墳がメンバーの証になっていて、外国との付き合いに苦労して、渡来人から様々な技術や知識を吸収して……でもその実態はいったい何?」 という断片的なイメージじゃなかったかな~と思うのです。 そこで今回は大和政権の内部をちょびっと拝見していきますが、中にお邪魔するには鍵が一本必要です。その鍵は「氏姓制度」といいます。 大和政権の支配領域が広がるにつれて(ワカタケル大王の頃には東は埼玉のあたりまで及んでいましたね~)、政権に積極的に加わる、または仕方なく従う豪族たちがどんどん増えていきました。こうした豪族たちを整理整頓し、コントロールするためのシステムが着々とくみたてられ、「氏姓制度」というかたちで一応の完成をみました。 ではこの新システム=氏姓制度とは、具体的にどんなものだったのでしょうか? まず氏・姓にそれぞれ分けて説明していきますね~。 氏(うじ)……各豪族は氏という組織から成り立っています。この組織は、血縁的結びつき(要は一族)だけでなく彼らが支配している土地&人民など、すべてをひっくるめた集団をさします。ゴーインに例えるなら、豪族一族でやっているカンパニーみたいな感じでしょうか?有名なのは蘇我氏や物部氏。 姓(かばね)……氏にあたえられる大和政権内での地位(ランク)をあらわす称号。氏で世襲化(氏の中で代々引き継がれる事、すなわち特定の氏が特定の姓を独占するようになります。これは聖徳太子・蘇我馬子らの政治改革とも関係しているので、ぜひ頭の隅に置いておいて下さい☆)。 氏姓制度とは要約すると、氏という組織を姓によってランキング付けし(ステップ1)、その姓に応じて様々な職務をまかされる(ステップ2)というシステムになります。 ではステップ1からみてみましょう。 おおざっぱに★1つから★3つまでにランキングしてみました。姓(称号)は赤の四角で囲まれた部分です。臣・連には優劣がなく、だいたい平等だったと考えられています。 連の姓をもった氏たちについてちょっと補足を。彼らは政権内での職務を氏の名としているので、氏名にはきちんと意味があります。 大伴(おおとも)氏は「伴の大なるもの」=技術系リーダー伴造のまとめ役でした。 物部(もののべ)氏は「モノノフ(武人)モノノグ(武器)」という言葉に由来があり、すぐにお分かりの通り軍事担当の集団です。 中臣(なかとみ)氏は「神と人との中(仲)をとりもつ臣」ということで、神々をまつる祭祀をとりしきっていたそうです。 ランキング発表の次はステップ2へ! ★3つの特上クラス+大王は、国の政治を動かす中枢部分でありました。この部分を「朝廷」を呼んでます。大臣と大連についても特に上下関係はなく、二人の首相が存在しているとイメージして下さい。ちと変な感じですが…。 そして前回ご紹介した最新の技術を誇るプロフェッショナル集団・品部らを率いるのが、伴造(とものみやっこ)と呼ばれるリーダーでした。こちらは★3つ又は2つの豪族から選ばれました。 さて、日本列島のヌシとしての体裁もだいぶ整ってきた大和政権。大王のもとで二人の首相(大臣&大連)は手に手を取って未来のためにがんばった……なら大変麗しい話になるのですが、悲しくもあさましい人間のサガ、大連の物部氏と大臣の蘇我氏は互いに足の引っ張り合いを繰り返し、ことごとく対立していくのです。 泥沼の権力闘争のゆくえはいかに?!一方、激動する世界情勢からどんどん取り残される日本!八方ふさがりの現状を打ち破るのはいったい誰なのか?乞う、ご期待!! …なーんてオオゲサに書き立ててみたものの、大丈夫でしょうか、次回の私。話半分割り引いて下さいね……。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[縄文時代~古墳時代] カテゴリの最新記事
|