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2005年02月27日

 
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カテゴリ:飛鳥時代
予告どおりのタイトルなんて、初めての快挙かも^ ^;

さて前回水城の写真をご紹介しましたが、すぐ近くに大宰府官庁跡もありますので、お近くに行かれる際は、ちょこっと寄ってみて下さい。礎石くらいしか残ってないのですが、山と空がひろがる素朴な風景は、まさに古代の雰囲気そのもので、ここでも勝手に余韻にひたっていました(昨日からそればっかりですね~。変人確定?!)。

では写真をどうぞ☆不気味なクマはまたまた私です。




唐・新羅軍の報復を恐れるあまり、民衆をこきつかって水城などの防御施設を必死に整える中大兄皇子でしたが、彼の恐怖はこれだけではおさまりませんでした。
さらなる国土防衛のため、彼が取った究極の選択とは……何と首都移転だったのです!
敵がやってきてもすぐには襲われないよう、海からなるべく遠く遠く離れた場所、滋賀県は琵琶湖のほとりまで(奈良の飛鳥からえらく遠くなっちゃいましたね~)、ゴーインに都を移してしまったのでした。この新しい都は近江大津宮(おおみおおつのみや)と呼ばれています。

白村江の戦いでボロ負けしたあげく多くの兵士を死なせ、防御を固めるためにこれまたたくさんの民衆が駆り出され、しまいには突然の遷都(都を移すこと)とくれば、中大兄皇子への支持率はデッドライン確実!のよーな気がするんですが(実際、人々の批判は相当多かったみたいです。私もいっしょになって怒っている方だな、きっと^ ^;)、近江大津宮に移った次の年(668年)、彼はついに天皇の座につくことになります。天智天皇の誕生です。乙巳の変で蘇我氏本家を滅ぼしてから、はや23年がたっていました。なぜか私まで感慨深くなっちゃいました……。


晴れて天皇となった彼は、ようやく本来の目的=唐をモデルとした国家改造に立ち戻ります。
ここでは二つの政治改革を見てみましょう♪
(1)近江令(おうみりょう・全22巻)完成?
乙巳の変の直後、国家改造のための4つのガイドライン(改新の詔)を発表しましたが、今度はおおまかな方針ではなく、新しい国家に不可欠な、具体的で細かなルール=法律を作ろうというのが、この近江令になります。
ではどんなルールなのか?モデルとなった唐は、律(刑法)&令(行政法・民法)というルールによって、国家運営がなされており、この近江令は、唐の”令”を研究し、日本向けに改良したものと考えられています。
しかし肝心の内容がサッパリ伝えられていないので(そのため完成を否定する説の方が有力です)、いくつか手をつけたところで終わっちゃったのかな…という気もしますね~。

(2)庚午年籍(こうごねんじゃく・初の全国的戸籍)を作成
戸籍を作ろう!というのは改新の詔でも宣言してましたが(タテマエでは、すべての土地・人民は国家のもの=公地公民制ですから、人民の情報をおさえておくのは基本中の基本ですな~。第一、そうしないと税もキチンとしぼりとれないし^ ^;)、全国に調査員みたいな人々を派遣して、たんねんに調べ上げ、ようやく立派な戸籍が完成しました。これで人民の名前・続柄・年齢・性別などなどを把握することができ、公民制については大きく前進したのでした♪
(しかし初の戸籍ということでまだまだ不備は多く、これからバージョンアップが重ねられることになります)


新しい国家作りに向けて、少しずつ歩みを進めていく中で、天智天皇にはもうひとつ解決するべき難題がありました。それは皇位継承問題でした(またかー!!)。
有力な候補者はふたりいました。一人は天智天皇の片腕を長くつとめ、まさにベテランの風格ただよう弟・大海人皇子(おおあまのおうじ)。
かたや、見た目も中身も申し分ない天智天皇ご自慢の息子・大友皇子(おおとものおうじ)。
この答えは、今のところ天智天皇の胸一つにありました。容易にご想像つくと思いますが^ ^;ここから先は次回へゴー!ということで、本日はこれにて☆


追記……白村江の戦いで捕まった兵士は捕虜にされ、奴隷としてこき使われたそうです。日本の地を踏めずに死んでいった人達も多くいたことでしょう。運よく帰国できた人々も、戦いからすでに30年、40年がたっていたそうです(昔、太平洋戦争からかなりたって帰還された元日本兵の方がいましたね。お名前は忘れちゃいましたが、「恥ずかしながら、帰ってまいりました」っていう言葉が有名になったような……。その方とイメージがだぶりました)
たぶん、お母さんやお父さんにはもう会えなかったでしょうね…。家族には再会できたんでしょうか。こういうのを知ると、やはり今も昔も戦争というのはむごいものだと、あらためて実感します。

追記2……中大兄皇子が天皇になれなかった理由として、同じ両親から生まれた実の妹(間人皇女)との禁断の恋があげられることがあります。
この時代、お母さんまたはお父さんが違えば結婚できたのですが、さすがに両親が一緒のパターンはタブー視されていたので、天皇にはふさわしくないという非難の声があったとか、なかったとか……(どっちなの?)。
なので、間人皇女が亡くなったときにやっと天皇になれたという説なんですけど、私はどうかな~??と首をひねってしまいました。
お相手が死んじゃったから、タブーも消えて即天皇!というのは、いくら日本人がいい加減とはいえ、あり得ないよーな気がするんですけど…。うーん、ホントのところはどうなんでしょうかね??


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最終更新日  2005年02月27日 18時04分19秒
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