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2005年03月05日
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カテゴリ:飛鳥時代
絶大なインパクトと圧倒的なカリスマを武器に、「大王」から神のごとき「天皇」へいっきに脱皮してしまった天武天皇。この無敵状態の天武天皇が手がけた、「唐に追いつけ!国家改造大プロジェクト」の一部を、今日は見ていきたいと思います♪


本日は天武天皇ご自身にご登場願いまして、プロジェクトの内容と成果をご説明していただきます。インタビューはせんえつながら、私くまくまが務めさせていただきます。

くまくま(以下くま):「え~、この国家改造プロジェクトというのは…」
天武天皇(以下天武):「大、を忘れておるぞ、大を」
くま「…あ、そうでした、申し訳ありません(けっこうこまかい男だな…)、国家改造大プロジェクトのキャッチコピーは、”唐のようなカッコイイ中央集権国家を打ち立てよう!”というものだそうですが、そのために陛下は、どのような対策を講じられたのでしょうか?」

天武「うむ、まずは公地公民(すべての人民・領地は国家のものである)の徹底であるな。兄(天智天皇)も比較的手のつけやすい方、つまりは人民の掌握をめざして、戸籍などを作ったりしたのだが、実際には豪族たちの反発も多く、やつらが所有し、個々でこきつかっている部曲(かきべ:豪族の私有民のこと)を完全に取り上げることは出来なかったのだ。しかしこの私に不可能はない。とっとと部曲を廃止に追いやってしまったわ、ハハハハハハ」
くま「そ、それはスゴイですね~(飛んでくるつばの量もハンパじゃないよ…)。でも、豪族たちが勝手に所有しちゃっている土地は、さすがの陛下もタッチできなかったのですか?」
天武「(こちらをギロリとにらんで)おぬし、この私に文句をつけるとは、たいした度胸だな」
くま「だ、だって、誰だってそう思うじゃないですか~。ねえ?(他のスタッフたちに助けを求めるが、みんなビビッて目をそらしている)」
天武「まあ、いい。そちらの方もぬかりはないからな。やつらから土地をすべて奪うのは気の毒であるからそこまではやらなかったが、国という新しい行政単位にゴーインに組み込んでやったわ」
くま「あの~、もう少し分かりやすくお願いします」
天武「手間をかけさせる奴だなあ、仕方ない。中央からの命令を行き届かせるためには、こちらできちんと行政単位を設けて、そこに忠実な手先を置いておかねばならん。豪族どもがてんでばらばらに土地を支配していたら、私の命令も伝わるか伝わらないか分かったものではないし、第一、そんな悠長な支配体制では、大がかりな政治改革など出来るわけがなかろう」
くま「はあ、なるほど~。お兄様の天智天皇はそれが出来なかったのですか?」
天武「(やや自慢げに)うむ、その通り。兄は評(ひょう)という行政単位は作ったが、これは豪族どもの私有地をもとに区切っただけであるから、ほとんど意味がなかったわけだ。しかも評は、支配するにはひどく細かすぎる」
くま「今でいえば、政府が直接町や村を支配するようなものですかね~。確かにそれじゃ面倒くさいし、効率的ではありませんな」
天武「は?よく分からんが、まあこの私は遠慮なく、豪族どもの私有地に国の境を引いてやったのだ。時間はかかったが、すっきりしたものよ」
くま「なるほど、陛下は都道府県を作ったワケなんですね!私もすっきりです!」
天武「今度は私がもやもやしてきた…なんだ、その”とどーふけん”というのは?」


ここでいったん休憩に入りまして……。
天武天皇は在位14年という、決して長いとはいえない期間のうちに、たくさんの改革を行いました。インタビューで紹介したのはほんの一例でして、その他、

(1)中央集権国家を今後スムーズに運営していくためには、やっぱり優秀な官人(今でいえば国家公務員ですね)が大量に必要です。そのため、家柄(=姓)でなく才能重視で採用する方針を打ち出しました。さらに、一年ごとに勤務評定をし、それがモロに昇進に響くという、今の会社でも「それはキツイ!」と言いたくなるよーな方式まで、しっかり決めちゃってます。タイヘンですねえ、公務員…。
(2)新しい国家にふさわしい、大規模な首都の建設にとりかかってます。これは次の天皇、持統天皇のときに完成しますが、着工したのは彼のときでした。
(3)立派な国家には、立派な歴史書が不可欠!(お隣の中国は、昔から歴史書をキチンと作ってきましたからね~)ということで、本格的な歴史書の編纂を命令しています。
今までに口頭で伝わっていた『帝紀』(ていき:天皇の皇位継承を中心とする古代の伝承・歴史などをまとめたもの)と、『旧辞』(きゅうじ:古代の神話・伝承)には、まちがいも多いため、この際ちゃんとリニューアルして、書物としてまとめたい!と考えた天武天皇が、語り部の稗田阿礼(ひえだのあれ)に一任して、出来上がったのが『古事記』全3巻でした。
稗田阿礼は当時28歳、抜群の記憶力をほこった女性(男性という説もあり)でした。阿礼は、膨大な量の帝紀・旧辞をすべて暗記(!)した後、711年、時の天皇(元明天皇といいます。ちなみに女帝)に筆録を命じられた太安万呂(おおのやすまろ)を相手に少しずつ語り出し、安万呂はそれらをいっしょけんめい書き写す……という、人間テープリコーダーの阿礼さんと、日本語という文字もない中で、中国の文字(=漢字)を使ってのテープ起こしをする安万呂くんという、地道でタイヘンな作業がコツコツコツコツ続けられ、712年に完成をみたのでした。ご両人(特に阿礼さん)、どうもお疲れ様です!!命じる方はカンタンでいいけどね、ホントにさ。
その一方で、国家としての正式な記録を編纂するよう指令を出しています。こちらは720年、『日本書紀』として結実することになりました。正式な歴史書であるはずの書紀が、そのまんま鵜呑みにできないな~というのは、一つには命令者であった天武天皇への配慮(というか遠慮?)があったため、と考えられています。う~む、私も小心者だから、気持ちはよく分かるなあ……。


くま「す、すみません……気がつけば休憩がとっても長くなってしまい、天武天皇は『いつまで付き合わせる気だ!私は忙しいのだぞ!』と一声怒鳴って、出て行ってしまいました。申し訳ないです、インタビューは次回に続くということで、今日はこれで失礼します~^ ^;では撤収!」



追記…『古事記』の成立については、古墳時代のカテゴリーに入っている『そこんとこ「夜・路・四・苦」・・・は古代人の大いなる知恵!』も参照して下さると、幸いです。では♪





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最終更新日  2005年03月05日 18時40分18秒
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