2005/07/30(土)23:59
頑張ってくれたキミへ感謝の思いを
川上弘美『センセイの鞄』という本を読みました。一時期はやったので、ご存知の方も多いと思います。
かつての国語教師だった老いた「センセイ」に恋心をいだく、37歳女性のささやかな日常を描いた作品で、舞台は現代社会ながらもこのふたりの会話、呼吸、生活模様が何とも浮世離れしていて、ちょっとしたファンタジーにも思えるような、不思議な世界でした。
ただ、「面白いの?」と聞かれたら「う~ん……」とコトバに詰まっちゃうんですよね、個人的には。
日本の小説によく見られる、”ストーリーがあって無いような”展開なので、ミステリーやファンタジー好きの私にはちょっと物足りないようです。あっさり淡白すぎて一口で終わっちゃうんですよね。
それならばこうして日記を書く必要がないんですけど、いくつか魅力的だった箇所があるので、少しご紹介してみます★
センセイの自宅にて。主人公の女性ツキコさんに、センセイはたくさんの電池を取り出して見せる。ものが捨てられない性分のセンセイは、電池さえも後生大事に手元に置いているのである。
「おのおのの電池の腹に、『ヒゲソリ』『掛時計』『ラヂオ』『懐中デントウ』などと黒マジックで書いてある。……」
「せっせと自分のために働いてくれた電池があわれで捨てられない。今まで灯をともしたり音をならしたりモーターを動かしたりしてくれていた電池だのに、死んでしまったとたんに捨てるとは情のないことだ」
私は切れた電池を取っておくなんて酔狂なマネはしませんし、それどころか案外パッパッと捨ててしまう、どちらかというと薄情なタチなのですが、ものをいとおしむ心というのに共感を覚えてしまいました。
というのも、何かものを捨てるときは、ちょっとばかし(こういうところに私のズボラさが出ているな^ ^;)キレイにして、「今までありがとうな~~」とお礼を言うようにしてるんですね。
誰か他のひとに譲り渡すときは、「これからも頑張ってや~~大事にしてもらうんやで~~」(なぜに大阪弁?)というエールを送りたくなる気持ちになります。
それが今まで頑張ってくれたモノたちへの、最低限の礼儀だろうな…と思うんですね。
な~んて偉そうですけど、それは自然と私のこころに生まれたのではなく、実はマンガから学んでいたりします^ ^;
かなり前の作品ですが、樹(いつき)なつみさんの『OZ(オズ)』というマンガがありました(最近リニューアルされて本屋さんの店頭に並んでるそうです。とっても面白いので、未読の方はよかったらぜひ)。
主人公のムトーという男性は少年だったころ、親代わりのおじいさんに育てられていました。おじいさんはオンボロのトラックをずっと愛用していましたが、とうとうそれが動かなくなってしまいます。
おじいさんは愛情をこめてトラックをいたわりました。少年ムトーはそれが不思議でなりません。彼は言います。モノは単なるモノだろ、と。
おじいさんはやわらかく否定して、どんなものにも命がやどっている…というようなことを言うんですね(すみません、ここらへん非常に記憶があいまいです。間違っているかも。でも確かこんな感じだったと思うのですが)。
OZの中でそれは、枝の先についた小さな葉っぱみたいにささいなエピソードなんですけど、なぜかずっとこころの底に残っているんですよね~。フシギ。
あとはとにかく出てくる食べ物がどれも美味しそうなのです~~!
湯豆腐の描写は圧巻!すぐにでも食べたくなること間違いなし!
「醤油を酒で割って削りたてのかつおぶしを散らしたものを、小さな湯のみに入れ、豆腐と一緒に土鍋の中で温める。じゅうぶんにあたたまった土鍋の蓋をあけると、湯気がほんわりとあがる。切らずに丸のまま温められた、ごつごつと目のつんだ木綿豆腐を、箸の先でくずす」
ほんわりあがる、とか、箸の先でくずす、という表現にもうメロメロになりました。ほんとうに文章が上手いなあと思います。
その他、美味しそうなものがたっくさん出てくるので、食いしん坊さんにはオススメかもしれません^-^
次回予告は……やめておいた方が無難ですね^ ^;最近外していることが多いからなあ。なりゆきに任せることにして、ではまた★