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カテゴリ:寺社
1月25日……大田区矢口から多摩川を経由して新蒲田をブラブラ…
![]() 道塚神社の隣…… ![]() 大楽寺山門……表題を[蒲田不動尊 大楽寺]としたのは、同寺のHPにならってです。蒲田不動尊が境内に建立されたのは平成6年と新しいですが、人気があるのか? 不動尊が先頭にきていました。 ![]() 山門扁額……境内から出土している石碑などから寛仁3年(1019年)の開基と伝えられる一方、写真で残る焼失した本尊が場所と大きさから近隣寺院の本尊(和銅3年・710年・五尺五寸)と同時期のものと考えられるため1300年の歴史が確実とも言えるそうです。とにかく古いですが、古の昔には[極楽寺]と呼ばれ七堂迦藍(しちどうがらん)の整った壮麗な道場だったと……迦藍(がらん)としているんじゃありません。 ※ 七堂迦藍=寺に必要な七つの建物……塔・金堂・講堂・鐘楼・経蔵・僧房・食堂 ![]() 玉川八十八ヶ所霊場 第六十七番札所……真言宗智山派でした。 東海観音三十三ヶ所霊場 第十二番札所……でもあるそうです。東海観音霊場は、以前品川区でお見掛けしたような? ちなみに、この後訪問した金剛院は十一番でした。 ![]() 戦国時代には、小田原北条氏の軍勢が闇夜に新田氏を追って寺に火を放った。江戸時代には、徳川二代将軍秀忠が三代将軍家光のために経文一巻と朱印を奉納したと。その時に使用を認められた葵の紋が境内随所に見られましたが、写真に写っていませんでした。職人さんが入っておられたから、ウロウロは遠慮した私でした。そうでもなかったかしら? ![]() 昭和20年の大空襲で本堂、書院、山門等々すっかり焼失。昭和30年に木造本堂が建立され、現本堂が再建されたのは昭和48年だそうです。失うのは一瞬…… ご本尊は阿弥陀三尊。東海観音霊場とあるのは千手観音でしょうか? ![]() 本堂扁額……金剛法山 大楽寺 ![]() 本堂から見た境内……正面の山門と鐘楼の後ろが道塚小学校で、右に蒲田不動尊。 ![]() 南無大師遍照金剛……またお会いしました。 ![]() 本堂右奥……石塔石仏が並んでいました。一番奥から[いぼ地蔵]・[庚申塔]・[六地蔵幢]……そして慰霊塔… ![]() 六地蔵尊…… ![]() 左の石碑に[銭洗い弁財天]の文字……五円玉を洗わせていただきました。 中央の祠には[琵琶弁天]と[八臂弁財天]と書かれた木札が…… ![]() なるほど、琵琶を抱えておいで……六臂じゃなくて確かに八臂…… 昔、ドラムを叩いたことがありますが、両の手足を別々に動かすのはとんでもなく難しかった。慣れればなんともないよ~ と知人は涼しい顔でしたが、両手しか使わないピアノですらうまく弾けないのが普通の人間。腕が八本あっても困っちゃうことでしょう。 ![]() 延命子育地蔵堂…… ![]() 地蔵堂扁額…… ![]() 子育て地蔵様……優しいご尊顔…… ![]() 子育て……しかし見事に彫れるものです。 ![]() 手水舎…… ![]() 無縁大塔 弘法大師1150年遠忌記念 昭和56年11月29日…… ![]() 法界萬霊塔……[延命寺]でも見ましたっけ… ![]() 蒲田不動尊 不動堂……平成6年建立と、新しいながらも人気があるそうです。 ![]() 扁額…… ![]() 蒲田不動尊と成田山新勝寺および高幡不動より勧請されたお不動様……2.7mの坐像です。ガラス格子からお賽銭を入れたら、迫力のある声でなにやら法話らしきが聞こえてきました。「やろうと思ったことは早くやるんだよ~…」みたいな……ビックリしたので少々聞き逃しました。 ![]() 不動堂階段下にありました……なんだか分かりませんが、とりあえずパチリ… ![]() 手入れの行き届いた境内でした。鐘楼は昭和63年みたいです。 ![]() 楼門というのが正しいのかしら? こちらも昭和63年みたいですが、空襲からの再興には時間がかかりましたね。二度と起きませんように…… 昨日は簡単だったので「これでお終いなの?」「具合が悪いの?」と連れ合いに言われてしまいました。今日とて簡単ですが、昨日より写真がコピット多いから堪忍ね~ さてさて、散歩行ってこようかしら? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.06.15 20:01:00
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