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カテゴリ:夫婦のこと
長男が小学生になり、初めての夏休みを迎えた。
我が家は夫婦共働きなので、夏休みの間学童に 通う長男のためにお弁当を用意している。 奥さんは夏休みに入る前からお弁当作りを 考えるだけで憂鬱になっていた。 僕も作るのは面倒だけれど、入学から給食が 始まるまでの間の2週間ぐらいは僕が長男の お弁当を作っていたので、何とかなるだろうと 思っていたし、今回もまた期間中は全部自分が 作るくらいの心構えでいた。 自分がお弁当を作るのは「当たり前」と思って いたので、昨日奥さんがお弁当を作ってくれた ときには「ラッキー」なんて思った。 ここでふと思う。 人は、人との関わりの中で「当たり前」と思う ことは沢山ある。 例えば、お弁当作りだけど、我が家の場合は、 夫婦それぞれが、自分の役目としてお弁当作りは 「当たり前」と考えている。 だから、自分が作った日は当たり前のことで、 逆に相手が作ってくれた日はラッキーな日となる。 でも、例えばこれが、お弁当作りは奥さんが作って 当たり前という場合だったらどうだろう? きっと旦那さんによっては何かしらの理由で仕方なく 旦那さんが作ることとなった場合、不満に思う かもしれない。 つまり、僕が感じることとして、何かしらの 当たり前と思っていること(ここでは義務に対する 当たり前、例えばお弁当作り)は大きく2つに 分けることができる。 ひとつは、自分自身が行う当たり前(お弁当を 作るのは自分の役目) もうひとつは、相手が行う当たり前(お弁当を 作るのは、僕ではなくて奥さんの役目) 義務に関して言えば、この2つの「当たり前」の 意識は常に前者の「当たり前」の心構えの方が 絶対に幸せになれると僕は思う。 つまり、自分がするべきと考えてくれていることを 奥さんが代わりにやってくれた。 そうなると自然と感謝の気持ちを伝えることができる。 でも、奥さんがやって当たり前だと思っていることを 自分がやった場合は、もしかしたら不満に思ったり、 感謝しろよなと恩着せがましい思考になるかもしれない。 同じことをするにも心構えひとつで大きく結果が変わる 可能性を含んでいる。 また、自分がやるのは当たり前と思えるための重要な 要素は、やはり相手に対する感謝や思いやりなんだと思う。 これがないと、やはり自分ではなく相手がやって 当たり前と思う傾向になると思う。 だから僕は、自分はこれだけのことをしているのだから、 これくらい求めるのは当然なんて思考ではなく、 例えば奥さんであれば、今まで以上に奥さんのどんな 些細なことでも感謝できる心構えで接したいと 僕は思うのです。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.07.29 01:10:38
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