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株/投資/ヘッジファンド/きまぐれぽんた

株/投資/ヘッジファンド/きまぐれぽんた

村上ファンドいろいろ

村上世彰氏が5日、東京証券取引所で行った会見の主な内容は以下のとおり。

<ニッポン放送株>

◎村上ファンドとライブドアの関係
 「今回のインサイダー問題で多大な迷惑をおかけしたことを心から深くお詫び申し上げたい。きょうのこの場で東京証券取引所で会見するのは最後にしたいと心に決めてきた。ぼくがこれまで一生懸命やってきたことを、この兜クラブで話すのが私の責務だと思った。(今回)何が疑惑になるのか全く分からなかった。私たちはライブドアが買うからニッポン放送株を買っていたわけではない。それは検察も完全に認めている。私たちは、フジテレビジョン<4676.T>、ニッポン放送の資本政策をいかに直せるかを考え、あるべき姿を(我々も)株主として申し上げるのがいいと思った」

◎2004年9月15日以降
 「9月15日に(ライブドア前経営陣の)堀江さんと宮内さんと会い、ニッポン放送はいいよと話をし、ぼくも株を買うからあなたも少し買ってくれるとうれしいと話をした。自分の考えに共鳴してくれる人が少しでも株を持ってくれるのがうれしかった。ライブドアは04年9月まで20億円以上の買収をしたことがなかった会社。そんな会社がどうやって(単独で買収)できるんですか。皆さんびっくりされたでしょう。(第三者割当型で新株予約権付社債を発行し資金を調達する)MSCBは株主を食い物にしていると思うからぼくは嫌いだが(その後彼らは)MSCBで800億円もやった(調達した)ことに僕はびっくりした。
 それに対し、11月8日に宮内さん、堀江さん、それ以外の方も(村上氏のオフィスに)来て、ニッポン放送の経営権取得できたらいいですねと話があった。宮内さんのことうらんでもいないが、ほら行けというタイプの方なので、そんなに欲しいんだという感じを持っていた」

◎2005年1月6日
 「それから2カ月間(ライブドアから)アプローチはなく、1月6日に堀江さんらライブドアの方がいらして、ニッポン放送を公開買い付けするならどうですかと話があった。あなた方にそんなことはできるのか、私はもうすでに18%超持っていたので、数パーセントでも買ってくれたらいいと思っていたし、一緒に株主として考えようと思っていたけど、(ライブドアは)経営権が欲しいんですと言っていた。これが今回の疑惑なのです」

◎2005年1月28日
 「実は私は(05年)1月後半にかけて、堀江さんが(公開買付けを)発表する前に大量にニッポン放送の株は売り払っていた。数十万株の規模で。1月28日の時点に(当時ライブドアの)熊谷さんから電話があり、外国人の保有状況を教えて欲しい、場合によっては外人からも(保有株を)買いたいと話があった」

 「ただ、今回検察が指摘するには、村上ファンド側はライブドアがどこまで本気で(ニッポン放送を)買うかは別にして、11月8日に宮内さんが行きましょうよと声をかけた。もしできれば公開買付けしたいと言ったことを(村上氏側が)聞くことが、5%以上買い集めることについての準備にあたると。そんな馬鹿なと思った。ただ、検察当局にもロジックがある。村上ファンド側は、ライブドアの行動で儲けようと思ったわけではないけれど、宮内さんのそれ行け、やれ行け、ニッポン放送だというのを聞いてしまったと。聞いたと言われれば聞いてしまっている。それを本当に証取法の167条、168条にあたるのかと自分の中で何度も考えた。これは法律の解釈の問題になる。これを2年間かけて争い続けることが、僕の大切にしてきたオフィスや関係者の方、ファンドへの拠出者にとって本当にいいことか数日間考えた。その結果昨日、検事さんのおっしゃる通り、それも構成要件のひとつかもしれないと(認めた)」

 「私は証券市場の中のプロ中のプロだと自認している。そのプロ中のプロが法律を万が一でも犯していいのか悩んだ。それで、これは自分でもミステイクはあると。自分も把握しなかったこと、自分も普通に買いたいと思っていて、たまたま堀江さんがそういうことをしても、それは私がやってきたフェアネスの中で止めなければいけなかったことではないかと思い至った。昨日の夜、調書にその部分についてサインをした。その部分とは、私は証券取引法の167条に基づくものについて、ライブドアが5%以上を買い集める事実を知って買ったわけではないけれども、聞いてしまっているということ。(違法だと)感覚はなかったが現実問題になったことは、罪を認め反省する必要がある。(調書に)サインをしたので私自身が起訴されることはほぼ間違いないと思う」

 「(検察などに対し)いろんな思いがあるのは事実。でも僕の担当の(検察の)方はフェアな方。法律論として論じたとき、僕はそういう意見もあると思った。彼はフェアだったと思う。調査の仕方、プレスへのリークの仕方などを考えると、本当にこれでいいのかと考えることはある。あるけれども、今回の件は私が悪いと思う。僕も悔しい。しかし聞いてしまった。現行の法律では儲けるつもりはなくても聞いただけで売買しても(処罰の)対象になってしまう」

 「堀江さんとはジムでよく会った。ニッポン放送の話だけではなく、宇宙に行く話などとか面白い人で夢がある人だと思ったが、堀江さんがニッポン放送を全部買うとは思ってもみなかった」

◎05年2月8日の約125万株の時間外取引について
 「ノーコメント。法律上開示すべきことは開示している」

<阪神電鉄株とファンド>
 「私鉄同士の再編はないのかとずっと言い続け、私は西武鉄道も買いたかった。(その過程で)阪神電気鉄道<9043.T>もいいと思い、阪神株を買うことを決めた。阪神と阪急(阪急ホールディングス<9042.T>)が再編してくれるということなので、当方は最大限できるだけ協力をし、ファンドの(阪神)株を売る方向で検討したく、また株主提案その他の提案は取り下げる。
 残念なのは、阪急との統合効果はよく分からないということ。統合したらここまで良くなると(阪急に)コミットメントできなければ会社のトップとして辞めるという事項を盛り込んでくれと言っていたが、今回こういう話になり、自分としては責任を取らなければならない。ファンドとして考えた結果、阪急の力になれればと決めた。私どもはほとんど株主でなくなるかもしれないが、いつか統合してよかったと言っていただければ嬉しい」

 「私はどう関与できるか分からない状況だが、大和証券SMBCにお願いしているのは、阪急の公開買い付けが成立するような形で売却したいと。引き続き(統合で阪神株が)阪急株になった後も(統合を)応援するのが筋かもしれないが、そこは不透明な部分もある。あとは臨機応変に残った人でやってもらえればいい。経営権の取得のつもりはもともとなかった。阪神の現経営に携わる人に、もっともっと儲かるようにしたいと、コーポレートガバナンスを実現できれば本当にいい会社になるだろうと思っていた」

 「ただ(阪神の統合相手としては)京阪電気鉄道<9045.T>の方が良かったかなとは思う」


<ファンドの今後>
 「この世界に7年前にきて、どんな言い方をされようとこの株式市場で全うにして生きていこうと思っていた。その私が証取法を犯してしまった以上、この世界に私が引き続きいるのはおかしいということで、私はこの世界から身を引く」

 「私の会社は、他の従業員たちが引き続きやってくれるのであれば、全部譲渡する。私はファンドから身を引くが、一部の主要人物には残ってもらえるし、シンガポールで証券売買ということはできるので、それを中心にやっていければと思う。阪神の株を売ると1800億円くらいのお金が入る。ファンドとしては情けないことにキャッシュマウンテンのファンドになってしまう。(阪神売却後のファンドの)4000億円のうち3分の2くらいは現金。ファンドから資金を出す(解約)という人がいれば、罪をつぐない終えた後に一件ずつ説明し、引き続き村上という名前はもう出ないかもしれないけれど、コーポレートガバナンスと僕の志を引き継いでやってくれる人に引き続きお金を集め運用して、この国の企業のあり方を託したい」
 「(投資ファンドにおいて特定の人物が何らかの事情で投資ファンドの運営に従事できなくなった場合、ファンド運営を停止する条項である)キーマンクローズになっているファンドはほとんどない。お前のような法を犯した人間が運用するファンドはいやだと言われれば、素直にその意見を聞けるようにする。12月までファンドは解約できないが、そういう人が早めにファンドを解約したいとなれば意向に応じるのが私どもの仕事。ただ、ファンドがお金(現金)だけになってしまっているものがある。一点集中で阪神を買ってしまった。ほぼ現金化し、潤沢にお金はあるので(解約したい)投資家の方にはお応えできる」

 「逃げるためにシンガポールに行ったのではない。ただ、若干日本がいやになってきたところはある。頑張って税金をいっぱい払った人をほめたたえること、あるべきではないか。(ファンドの運用で)めちゃくちゃ儲けた。しかし何が悪いのか」

<ファンドの運用成績・投資家>
 2000億円くらい投資して4000億円くらいになった。(ファンドの)投資家は100社くらいおり、6割が米国の大学の財団。今後はシンガポールに10数名、日本に10数名の合計30人程度でやっていく。(最近の村上関連銘柄の下落については)マーケットはマーケットなので、申し訳ないが(今回の件と)全く関係ない。安ければ買えばいい。(シンガポールに移転後も)投資先は(これまでと)一緒。ただ、インドなどもできるようにしてある」




村上世彰容疑者は逮捕前の5日午前、東証で会見した。主なやり取りは次の通り。
 ――インサイダー取引の認識はあったのか。
 ◆ライブドアの方々が04年の年末にかけて私どものところに「ニッポン放送がいいんだ」と話したのがインサイダーという疑念だった。ライブドアが5%以上買い付けることを知って、もうかるから買ったんじゃなくて、資本政策の延長に期待していたから買った。今、言われれば違法行為かもしれないと思っている。
 ――法律を破らなければ金もうけしてよいとの考えは変わらない?
 ◆金もうけは悪いことですか。法律を破らなければって、ルールの中で金もうけちゃ何が悪いんですか。僕はルールを犯してしまったかもしれない。でも、ルールの中で一生懸命株取引をしてもうける。何が悪いんだろう。
 ――阪急ホールディングスの阪神株の公開買い付け(TOB)に応じるか。
 ◆阪急のTOBが成立する形で売却したい。残念なのは阪急の統合効果がよくわからないことだが、自分として責任をとらないといけない。(TOB価格の1株930円は)割安かもしれないが、もう決めたことだ。
 ――シンガポールへ行ったのはなぜか?
 ◆逃げるために行ったわけじゃない。日本は変な国になってきたかなと。頑張った人をたたえる、税金をいっぱい払った人を褒める。そうあるべきじゃないか。例えば堀江(貴文)さんのことは今も好きだ。稀有(けう)な才能をもった人。その才能が生きないのはこの国にとって本当によいのか。堀江さんみたいにチャレンジする人を応援する国になるべきではないか。




村上ファンドによるニッポン放送株インサイダー取引事件で、村上ファンドが保有していた約640万株のうち約200万株をライブドアとの時間外取引で売り抜けていたことが、東京地検特捜部と証券取引等監視委員会の調べで分かった。証券取引法違反容疑で逮捕された村上ファンド代表の村上世彰容疑者(46)がインサイダー取引の一連の枠組みを作成、ライブドアを「売り抜け先」に利用していたことがより鮮明になった。村上ファンドがライブドアによる時間外取引で売り抜けた株数が明らかになったのは初めて。
 調べによると、村上容疑者らは平成16年11月8日、ライブドアが5%以上のニッポン放送株を取得するとのインサイダー情報を聞き、翌9日から昨年1月26日までにニッポン放送株約193万株を購入した疑い。その結果、保有するニッポン放送株は同年1月5日時点で約609万株(18・57%)になり、26日までにさらに約30万株を買い増した。
 村上ファンドは2月8日、ライブドア側との事前合意に基づいて行われた時間外取引で、そのうち約200万株を売却。その後、ライブドアとフジテレビのニッポン放送株争奪戦で株価の高値が維持された状況で保有株の売却を進め、2月28日には約112万株(3・44%)まで減少した。インサイダー取引で買い増した分だけで約30億円の利益を得た。
 これまでの調べでは、村上容疑者は16年9月15日、ライブドア前社長の堀江貴文被告(33)に「私の保有比率は12%で、ライブドアが残りの38%を取得すれば、ニッポン放送の経営権が取れる」などと勧誘。その後、時間外取引を含めた大量取得の手法を指南し、堀江被告らは11月8日に村上容疑者に「一緒に経営権をとりましょう」と言ったことがすでに判明している。
 こうした経緯と、時間外取引での大量売却の状況が符合していることから、村上容疑者がライブドアを村上ファンド保有株の「売り抜け先」に利用していたことが明確になった。
 ライブドア側は初め、村上容疑者の勧誘通り、共闘してニッポン放送株を買い進めるとみていたが、村上ファンドが売り抜けたことから「裏切られた」と憤っている。
 東京地裁は6日、村上容疑者について、15日まで10日間の拘置を認める決定を出した。
     ◇
【用語解説】時間外取引
 証券取引所の取引時間外で行われる株式売買の方法の一つで、立会外取引ともいう。取引時間は、午前8時20分から午前9時、午前11時から午後0時半、午後3時から午後4時半の1日3回。大口取引を行う機関投資家にとって、他の一般投資家に影響を及ぼすことなく売買を成立させられるのがメリット。昨年、ライブドアがニッポン放送株を大量取得した際に用いたことで問題視され証券取引法が改正。3分の1以上取得する場合は時間外でもTOB(株式公開買い付け)が義務付けられた。




証券取引法違反(インサイダー取引)容疑で逮捕された「村上ファンド」代表、村上世彰(よしあき)容疑者(46)が04年11月、ライブドア(LD)からニッポン放送株を大量取得する意向を聞いた直後、フジテレビによる同放送株の公開買い付け(TOB)への協力を約束していたことが分かった。敵対する両社をてんびんに掛け、最後はLDに高値で引き取らせていた。当初から高値売却が目的だったことが鮮明になった。
 東京地検特捜部の調べによると、村上ファンドは03年6月にニッポン放送株を取得して大株主となったが、04年夏ごろには売り抜けに苦慮していた。このため同年9月15日、LD前社長の堀江貴文被告(33)=証取法違反で起訴=らに「同放送株を17%持っている。LDが3分の1(約33%)取得すれば、議決権行使に協力する」などと持ち掛けた。LD側は資金繰りなどを検討して同年11月8日、村上代表側に大量取得の意向を伝えた。
 ◇ライブドアと両にらみ
 ところが、この2日後の同10日、村上代表の側近がフジの幹部と面談。幹部が「3月までにTOBを行えば応じるか」と尋ねたことからフジがTOBを実施する意向を知り、村上代表はフジに協力を約束した。
 05年1月17日、フジがニッポン放送株のTOB内容を公表したところ、買い付け価格(5950円)は村上代表の予想よりも安かった。このため村上代表は堀江前社長に「保有分のうち10%程度買ってくれないか」と要請。LD側は議決権行使で協力を得られればよかったため買い取る必要はなかったが、要請を断れず1株6050円で買い取ったという。
 村上代表は5日の記者会見で、同放送株の買い付けについて「ニッポン放送をあるべき姿にするため」などと説明し、高値売却目的であることを否定していた。


 オリックスは6月20日午前、東京都内で定時株主総会を開き、村上ファンドに運用委託している投資資金が3月末時点で約200億円になっていることを明らかにした。藤木保彦社長が説明した。
 オリックスは、昨年3月末の残高が107億円と説明していたが、新たな開示対象などが加わり、約200億円に膨らんだという。藤木社長は資金を引き揚げるかどうかは「まだ決まっていない」としている。
 ファンドの村上世彰前代表を支援してきた宮内義彦会長は、ファンド問題ではコメントしなかった。
 オリックスと村上ファンドは5月まで資本関係があったが、藤木社長は「証券取引法違反の容疑事実に関して当社はまったく関与していない」と強調。「ファンド運営に当たり法令が厳格に順守されることを当然の前提としており、村上前代表が逮捕されたことは極めて遺憾」などと述べた。




3月9日、福井俊彦総裁が率いる日銀は、量的緩和政策の解除を発表した。日銀当座預金残高を目標値として、資金供給を拡大させていく量的緩和政策は、日銀史上、例をみない政策だった。
 日銀が量的緩和政策に踏み切ったのは、福井氏の前任者である速水優前総裁当時の'01年3月だ。その前年の'00年8月、速水日銀は、念願だったゼロ金利政策の解除を政府の反対を押し切って実現していた。ところが、国内景気はその後、失速感を強めて、株価も下落してしまった。そうしたなかで、速水総裁が絶望のうちに、決断を迫られて、そうせざるを得なくなったのがゼロ金利政策への回帰と、量的緩和政策の実施だった。
 '03年3月に速水氏の後任として日銀総裁に就任した福井氏はその当時、富士通総研理事長を務めていた。
 若い頃から「将来の総裁候補」と目されて、順調に副総裁まで上り詰めていたが、突然の日銀接待不祥事によって、その問題の責任を取る形で、'97年に日銀を辞したからだ。自他共に認める総裁有力候補だっただけに、「本人も無念の色が濃かった」と、日銀OBの1人は当時を振り返っている。
 速水氏の総裁就任そのものが福井氏が引責辞任せざるを得なくなった状況下での予定外の登板劇だった。速水氏は、金融危機が深刻化するなかで、金融政策の舵取りを担う繁忙の日々を送った。それに比べると、一民間シンクタンクのトップという福井氏のポストは無聊をかこつものだったといわれる。
 そうした状況下にあって、福井氏はある会社のアドバイザリーボードのメンバーを務めていた。それが'99年8月に設立されたM&Aコンサルティング、いまや、株式市場関係者ならずとも、その名を耳にしたことがあるだろう村上ファンドだった。
 '01年7月に同ファンドが出資者などに配布した資料のなかに「アドバイザリーボード」に関する説明が次のように記されている。
「(メンバー)現在、確定しているメンバーは、福井氏(株式会社富士通総研理事長、元日銀副総裁)、中川勝弘氏(東京海上火災保険株式会社顧問、東京海上キャピタル会長、元通商産業審議官)、並びに国内大手金融機関及び米国機関投資家(ファンド出身者)である」
 さらにアドバイザリーボードの役割としては「ファンドの投資対象やパフォーマンスに関する議論および監視」「投資先の経済改善策についての助言」「GP(ジェネラルパートナー)の主要メンバーが退社する場合、ファンド継続の可否について判断すること」などの項目が並んでいる。
 同資料では、ファンド・スキームが描かれている。その中で、福井氏などがメンバーとなっているアドバイザリーボードはケイマン現地法人に属しているような位置付けだ。いずれにしても、福井氏が村上ファンドのアドバイザリーボード・メンバーとして、前述したような役割を担っていたことが資料から裏付けられる。
 その福井氏が総裁となって華々しく日銀に返り咲いたのは'03年3月だった。福井氏は持ち前の滑らかな弁舌と、政府との一体感を強調するスタイルで、速水氏当時に悪化していた政府との関係を改善していった。その象徴が量的緩和政策の徹底だったことはいうまでもない。
 具体的には、就任前まで15~20兆円だった日銀当座預金残高目標を就任間もなく、17~22兆円へと引き上げて、さらに4月には27~30兆円へ、そして、
'04年1月には30~35兆円へと引き上げ続けた。その姿勢からは、つねに量的緩和という異常な政策を渋りがちだった速水氏とは対照的な積極さが滲み出ていた、といっても過言ではない。



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■企業は資金をファンドへ投資
 修正に動いたのが昨年夏前ごろからであり、その後福井総裁は徐々に量的緩和解除の意向を口にするようになった。政府に対しては物価上昇率の具体的な数値を提示するなど、ほぼ1年近くして、ようやく量的緩和に終止符を打ったのがこの3月の出来事だった。その間、3年にわたって、福井氏は莫大なマネーを金融市場へ注ぎ込んだ。
 そうした異常な金融政策を打ち切ることを決定した3月9日の記者会見で、量的緩和が果たした役割に関する質問への福井氏の回答内容は「今後は金融政策は説明しやすくなる」という、実に曖昧な内容にとどまった。しかし、それは無理もなかったかもしれない。
「日本の景気回復は、米国景気と中国景気の拡大に支えられたもの。輸出の拡大で景気回復した」(外資系アナリスト)といわれて、「消費者物価の上昇もほとんどは石油価格の上昇に依存している」(有力シンクタンク)というなかでは、量的緩和の効用は不明確だからだ。むしろ、日銀内部ですら驚きがあった量的緩和の拡大策によって、如実に反応が現れたのは証券市場だった。
「企業借入という資金需要の実需が出てこない環境下で、マネーは株式市場などに流れ込ん
だ」(大手証券幹部)
 量的緩和が継続される下で、ゼロ水準で微動だにしなくなった短期金利は、株式市場における信用買いの投資家層にただ同然の投資資金をもたらしたし、企業間のカネ余りが激化して、投資ファンド、買収ファンドなどへの投資資金の流入を加速させた。
 もちろん、そうしたなかで、福井氏がアドバイザリーボードのメンバーを務めた村上ファンドの投資ビジネスも、大きく飛躍することになったわけだ。福井氏は、その意思の有無はともかく、日銀総裁就任後も、量的緩和によって村上ファンドによき結果をもたらし続けたことになる。



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■村上・宮内・福井を結ぶ盟友関係
 ちなみに、日銀総裁前、富士通総研理事長に就任してほぼ3年が経過した
'01年に、福井氏は経済同友会の副代表幹事に就任している。当時、経済同友会のドンといわれていたのはオリックス会長の宮内義彦氏だ。「福井氏と宮内氏は同年齢で、ともに関西出身ということで仲がよかった」(財界関係者)ことで知られている。
 その宮内氏のオリックスが主要株主にあったのが、村上ファンドにほかならない。それだけではない。村上ファンドは運用に際して、企業の純資産額を算出する場合、不動産については、公示価格、路線価のほかに、オリックスによる時価評価も利用していた。ここには、単なる資本関係以上の密接さが感じられる。
 そして、村上ファンドは前代未聞の量的緩和が拡大する中で、企業買収を続けたのである。村上ファンドに出資するオリックスの宮内氏と、その盟友としての福井氏の存在は、いやがおうにもヤ目立つユのである。
 ある日銀OBはこう語る。
「日銀不祥事で退任を余儀なくされた当時、福井氏は絶望していた」
 おそらく、福井氏はもはや、自分が日銀総裁に上り詰めることはないと諦めていたのかもしれない。
 しかし、福井氏はその後、その実力を買われて日銀総裁の座を射止めた。これは、自らが意図しなかった展開だったのかもしれないが、それにしても、金融政策、なかでも量的緩和の効果がビビットに反映する証券市場において、企業買収ファンドという組織のアドバイザリーボードを務めたのは、思慮が足らなかったのではないか。
 関係業界への天下りが厳しく禁じられている昨今の状況下において、天下りならぬ天上りとでもいうような職業選択には不透明さを払拭できない。少なくとも、福井氏は量的緩和に終止符を打った現在、総裁就任前に、村上ファンドのアドバイザリーボードに就任した経緯と、その後の関係について、自らきちんと説明する義務がある。
 だが、本誌の取材に対する日銀政策広報の福永憲高氏の答えはこうだった。
「福井が民間人であった時代に『M&Aコンサルティング』のアドバイザリーボードのメンバーであったことは事実ですが、日本銀行総裁就任前に辞任しております。
 当該メンバーに関する就任・辞任については、民間企業時代のことですので、日本銀行からは公表しておりませんが、今回のような質問に対してはお答えしてきております」
 しかし、就任前に福井氏本人は、アドバイザリーボードのメンバーを辞任したことを自らは公表していない。個別に照会があった場合には、その旨を答えてきたというのだが、これでは隠していたといわれても仕方がない。
 中央銀行の説明責任、透明性は総裁個人にも及ぶことは、イタリア、ドイツなどの中央銀行幹部たちが、不透明な振る舞いで辞職していることでも明らかだ。

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 日銀の福井俊彦総裁は27日午前、衆院財務金融委員会の理事懇談会に金融資産や給与などの資料を提出した。今年3月末の預貯金が1億8660万円、国債が1000万円、投資信託が3510万円だった。福井氏はこれまで、村上ファンドへの投資(昨年末残高2231万円、それ以外に01年に分配金242万円)と、5銘柄の株式(時価総額約3400万円)の保有を公表しており、金融資産の総額は約2億9000万円になる。福井氏の05年の収入は日銀総裁の給与3641万円、年金778万円だった。

 福井氏の妻の金融資産も今年3月末時点で5323万円と公表した。預貯金、国債、投資信託、保険だが、個別金額は公表しなかった。また、妻が阪神電鉄株2000株(00年8月購入)、高島屋株5000株(相続)も保有していることも明らかになった。阪神株は、05年9月に村上ファンドが大量に買い占めて筆頭株主になり、株価が急騰した経緯がある。

 日銀はこの日の理事懇で、幹部の資産公開や株取得ルールの見直しについて、7月7日までに改革案をまとめることも明らかにした。行内の検討チームが有識者の意見を聞いたうえでまとめる。

 今回、福井総裁が金融資産の公開に応じ、資産公開のルールを見直すことで、国会や国民に理解を求める姿勢。ただ、政府は福井総裁を擁護する姿勢を変えていないが、与党の一部と野党から辞任論が強まっている。民主党は衆院財金委に再度、福井総裁の参考人招致を求めている。同委が閉会中審査を改めて開く可能性があり、福井総裁の進退問題がくすぶり続けるのは必至だ。

 ●福井総裁の収入、金融資産報告

◆収入(単位・万円)

    日銀給与  年金  民間企業の給与、退職金等
03年 2890  775  4249
04年 3636  776   0
05年 3641  778   0

◆金融資産(単位・万円)
         預貯金   国債   投信
03年3月末  18373    0 2848
04年3月末  16646 1000 3117
05年3月末  17709 1000 3122
06年3月末  18660 1000 3510

◆妻の金融資産
06年3月末で総額5323万円。内訳は預貯金、国債、投資信託、保険。そのほかに阪神電鉄株2000株、高島屋株5000株保有。阪神株は00年8月に購入、高島屋株は相続



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