テーマ:家族の幸せって?(519)
カテゴリ:ヒトコトモノ
いつものように施設の面会に行ったダンナ。 つい最近また姑は、痰が上手く切れずに気管支炎から 熱を出した。 その後が心配で急いで行ってみたものの、抗生物質が 効いたらしく、落ち着いたようだ。 レビー小体型にアルツハイマー型も途中から加わり、 もう完全にどこからどう診断しても『認知症』な彼女。 こうなる前から面倒くさがりであんまり動かないし 考えないし、喜怒哀楽の怒以外は抜け落ちてるような 人だった。だけど胃瘻をして寝たきりにもなると、 さすがに楽しみもなく寂しいしつまらないだろう…と、 勝手に可哀相に思っていた。 でも、昨日はダンナと向き合ってる最中、急に笑顔になり、 遠くに向かって手を振りだしたらしい。 あまりに突然のことで、ダンナも驚きどうしたのかと聞くと、 「赤ちゃんが来たから」と答えたそうだ。 もちろん老人専門の施設なので、赤ちゃんは来ない。 でも嬉しそうな顔だったと聞き、私もなんかホッとした。 そう言えば前は、天井の模様を見て「猫がいっぱいいる」と 呟いたんだったな。おそらく私が、しょっちゅう猫ねこネコ ばっか言ってたから、それが記憶にあるんだろう。 「猫、飼った?」とダンナに聞いてきたこともあるらしいし。 私達と同居してる時、まだ体も元気で私に反抗期の子供みたいに 突っかかって生きていた姑は、実の孫(最愛の次男の娘)の 事でもそんなに感情を露わにする人ではなかった。 おっさんみたいな性格だから、女が子供でも大人でもとにかく 苦手で、女らしいこともできないし女同士で関わり合うことが できない人だった。だから見知らぬ赤ちゃんに興味を持つとか、 しかもそれを見て微笑むなんか、絶対にありえなかった。 “本人としての自覚”がある頃には、こんな調子で周りの 何にもあまり興味のない狭い世界で、見えない分厚い壁を 抱えて生きてきた人。それが今、こんな姿になって、 ベッドに毎日寝たきりなのに、以前より楽しそうに“笑って“る。 同室のちょっとトボケたおばあさんの、おしゃべりが止まらない時は、 眉がへの字の困った表情になるとも。 あの無表情無感動だった姑が、呆けてきた今になり、やっと “人らしく”自分を出せるようになった。施設に入れる時も 胃瘻にする時も、長男夫婦の責任の重さに押し潰されそうで、 色んなことを散々悩み眠れない夜も何度もあった。 本当にこれが正しいのか、彼女の終末を迎えるのに相応しい生活か、 と考える日々だった。ほんと辛かった。 でも、今の彼女、もしかすると幸せなのかも・・・・・・ と思えるようになった。幻視幻覚どんな形でも、本人がたとえ その意味を解っていなくても、やっぱり笑えたり喜んだりできる 暮らしの方が、きっといい。 ★ ★ ★ ★ ★ 今日のひとこと。 「司教肘ついてるし興奮するし説教長いし。 70回も愛言うてるし。」
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最終更新日
2019.03.21 21:58:10
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