気まぐれ屋。

2024/02/06(火)18:14

ないほうがこわい。

社会人になってからず―――っと仕事で“若者”に関わってきた。 自分の子供がいないので、世の中の若い世代の“流行り”や“関心事”は仕事を通し、彼らから学ぶことが多い。 しかし時にはとても“不思議で理解しがたい”流行も。今気になっているのは、『句点をつけない』文章がやけに目に 付く点だ。​​​​タイムリーにも最近色んなメディアで取り上げられ ている。 ある記事によると。若者が​文章に句点をつけなくなった​のは、 2000年まで遡る。LINEは『文章に句点をつけない』のがマナー らしいが、LINEの誕生は、2011年。つまりLINEの遣り​取りの 心証関係なしに、若者は文章から『。』を排除していたのだ。 “句点を打たない理由”が、何度聞いても不可解だ。 文章の最後に丸があると、“冷たい”“怒っている”と感じるそうだ。え? なんで?? そもそも句読点は、文章を読みやすくするための配慮で打つのあって、読み手を威圧するための武器ではない。 それなのに、なぜ負のイメージを抱くのだろう? 『丸嫌い』の彼らの言葉を借りると、たとえば『モーニング娘。』は“怖い集団”になってしまう。若返りの進む現モー娘。のメンバーやそのファンは、どう感じているのだろう? ちなみに。私のblogでの名前についてる『。』は、猫の首の鈴 みたいなもんで、誰かのマウントを取るためにあるわけではない。 あ! でもこうして誰にもblogが読まれてないのは、私の『。』 や長すぎる文章、それに加えて文面にちらばってる句読点が、 他者に嫌悪感や恐怖を与えているってことか💡 なるほど~♪ 私は友達に誘われてもSNSの類いを避け続けてきたけれど。句読 点を打てば相手に嫌がられたり誤解を招いたりするなら、やはり “自分向きではない”と確信した。 長年活字と向き合ってきた私にとっては、『、』も『。』も “必要不可欠”だ。私の打つ句読点には、打つ位置や記号のひとつ ひとつに意味や想いを篭めている。それはモチロン読み手を脅す ために打つのではない。私の“感情”に少しのリズムを添えるため。 公私ともに活字に触れてきたから判るのは。 「名は体を表わす」のと同じで、文章の筆跡や言葉や文章内の記号 の選び方には、書き手の人間性や心情が色濃く表れる。 それゆえに私は、これからも自分の書く文章には堂々と句読点を 打っていきたい。私という人間をそこから湧き出る感情を、“誤解 のない”文章で読み手に伝えていけるよう。 ★  ★  ★  ★  ★​ 今日のやや長めのひとこと。 「​電車の“ダイヤ”を“ダイヤル”​と言い続けてる ような人が、“TVの現場記者”だなんて💧😧」 ​​​❆❆余寒御見舞い申し上げます​​⛄

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