このblogでも繰り返し呟いてきたことを再び――――――――決して他者に対する小言が目的ではなく、自分自身への戒めとして改めて肝に銘じるために、ここに記す。
******
私が雑誌の作り手側で一番忙しかった平成の時代。
今のようなネット環境は大して整っておらず、“世の中に言葉や想いを届ける”には特定の手段しかなかった。だから“己の思想や嗜好について“情報発信”したければ、新聞社出版社や放送局等に所属するのが当然。その組織の名を背負い時間とお金をかけて独自取材を行い、情報を精査し“責任をもって署名原稿”にして世に送り出す・・・という流れだった。
しかし、これまで時代を牽引してきたそんな組織も今では“時代遅れ”となり、『オールドメディア』と揶揄されて久しい。若い世代に関わる仕事を通じて私も、“SNS世代”がそれらの発信を、もう誰も信じてはくれないところまできているのを怖いくらい感じてる。
メディア側もその現実を知ってるからかどうかは知らないが、作り手の手抜きが透けて見える。例えばネット上に無数に転がっているウェブライターの記事とか、どんどんショボくなる一方だ。SNSやTV番組で話題になっているネタをテキトーに拾ってきて、まんま文字に起こすだけという要点のない記事の何と多いこと😲 フックの効いた見出しに惹かれてつい本文を読んでしまうが、酷いときなんか刺激的なタイトルに該当する内容が書かれてないまま尻すぼみに終わる文章もざら😞「読むんじゃなかった↷↷」と後悔してばかり。いつ誰が言い出したのか『こたつ記事』とは巧いことを言ったもんだと、スカスカの記事を読む度に感心する。
私も長年仕事でも趣味でも文章を書いてきた。でも下積み時代を経てどんなにキャリアを重ねてたま~に読者にお褒めの言葉を貰っても、『ライター』の仕事をする時には、かなりの恐怖やプレッシャーを感じてた。尊敬するライターさん達を前に、自分が『ライター』を名乗ることなどおこがましいというか、恥ずかしいとさえ思ってた。だからこそ仕事には充分に時間をかけて臨み、“責任と誇り”をもって記事を書き、自分の名前を刻んできた。
そんな“作り手”の時代を精一杯生きてきたから、近年の雑誌やネットの記事の軽さ薄さにはどうしても首を傾げたくなる。
この前、お気に入りアーティストについて書かれた記事を読んだのだが・・・あまりにも残念な内容で。どうやらその“音楽系ライター”氏は、毎回取り上げる人気アーティストについて“辛口な批評”をするのが、お得意なようで・・・
それはその人が選んだスタイルだから、別に悪いことじゃない。
私もライターや音楽評論家の皆が皆、人気アーティストをよいしょする方が気持ち悪いと思う。それに私自身も、たとえ個人的に好きなアーティストのインタビューやレビューでも、何でもカンでも褒めず“冷静に判断”することを心掛けてきたつもり。
そうは言っても、このライター氏の記事を読んだ時、悲しさを通り越し憤りを感じてしまった。なぜって、彼は主観だけでそのアーティストの個人的な思想や価値観をしつこく批難し、音楽については何も語っていないのだ。『音楽系ライター』のクセに!!
しかも疑問に思うコトや文句を散々書き散らかしたにも関わらず、その大きな疑問について本人や関係者に直接問うこともせず、最初から最後まで疑問と不満を読み手に投げかけるだけ。この程度の文章でプロの『ライター』気取りなのだから、大した度胸だ。私が彼なら、こっぱずかしくて名刺も差し出せない。
この人の原稿は、私が匿名で好き勝手にblogで呟いてるレベルと、まるで変わらない。あれで原稿料を貰っているのかと思うと、他人事とは言え、なんだか腹が立つし情けない。
どの程度のスゴいライターさんなのかは知らないが。プロのアーティストを批評するのなら、自分もプロのライターとしてその対象に敬意を払い、せめて自分の五感をフルに使った本気の記事を書こうよ? 案の定、コメント欄はそれを読んでしまった人達をかなり動揺させ怒らせていた。これでも“炎上商法”で稼げればいいのか?そんな雑な文句だけの記事で稼いだお金でも、手にすれば嬉しいの?
本当に誇れる仕事として『ライター』を看板にするのなら・・・
今直ぐそんな恥ずかしい遣り方はやめて、読み手やアーティストを心から幸せにする文章で勝負したらどうよ?(私もそうありたい)
藤井風+米津玄師っぽいけど、クセになる👍
★ ★ ★ ★ ★
今日のやや長めのひとこと。
「毎年一日だけ立ち寄る“アカハラ”(と呼んでる謎の野鳥)が、“イソヒヨドリ”♂かもと知っても背の色が地味すぎてモヤモヤしてる😧」