ファミレスで向かいに座ったラフな格好の男女(推定60代後半)。女性の料理が届いた次の瞬間、彼女は胸の前に手を合わせ「いただきます」と声にしてから食べ始めた。自分の事は棚に上げて超失礼なのを承知で書く。パッと見、“化粧っ気皆無で無造作引っ詰め髪の庶民的なおばさん“である。だからその行為には驚いた。と同時に、すごく心が温まっていた。
またある日の偶然にも同じ店で。向かいには、乳幼児をあやす母親と食事中のオマセな女のコ(推定5、6歳)。少女は残さずキレイに食べ終えると、元気よく「ごちそうさまでした!」と手を合わせた。華奢な身体なのに食べっぷりは見事だ。彼女の美味しそうに食べる姿に、見とれてしまった。その上、人前で気後れせず“当たり前”ができること。その行為が立派で、清々しい気持ちになった。
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昨年あたりからのSNS上で、一部の学校での「いただきます」の廃止論が話題になっているらしい。先日読んだ記事にも、「いただきます」 にまつわる実話が載っていた。ネットの噂やその記事を読んで、初めて“そういう考え方”をする人がいるのだと知った。一番引っ掛かったのは、「お金を払っているから(それらの言葉を)言わなくていい」という理屈。
え? 「いただきます」や「ごちそうさま」を言うか言わないかって、お金の問題なの? また、“一斉唱和を廃止”した某学校では、苦し紛れに“笛を吹いて食べ始める”ようにしたとか😲 何の施設よ? “一斉唱和をやめて各自のタイミングで言って“食べるなら、それもアリだと思う。でも義務教育に限って言えば、「国民が共通に身につけるべき公教育」(文部科学省)なわけで、学校は社会性を学ぶ場なのでは? 各家庭での躾に加え、学校でのこれらの習慣を身につけておくだけでも、子供達が社会に出たときに順応しやすいはずだが・・・
私が目撃した女性達のように、たったひと言でその場が温まる「いただきます」「ごちそうさま」。こんなに簡単に皆が幸せになれる魔法の言葉を、「お金を払っている」からとかそんなさもしい理由で、言わないなんて・・・これも時代が変わったせいだと言われても・・・なんか腑に落ちない。残念だ。
以前このblogで、「ありがとう」を必ず言うことを書いた。それと同じで、私はこれからも料理を前にした時や店を出る時に、「いただきます」「ごちそうさま」を当たり前に言うだろう。たとえ古い人間と笑われても、子供の頃からこの身体にしっかり染みついてるし。それを言ったから損するとか、そういう屁理屈は要らない。なんたって口にした瞬間、場の空気がふんわり変わるのが好きだから。


頂きもの🍰と好きなもの🍞ごちそうさまでした☕🙏
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今日のひとこと。「15年目も・・・私にできる事をします。」