きみちゃんの「名言集」と「写真展」
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Good morning. How are you, everyone? Today too "My Love Day's". Please read "the morning drama diary of a long piece"!
昭和23年の秋には悪夢の様な災害が発生した。岩手県一関市は北上川支流の磐井川が扇状地状の谷底を侵食してつくった狭い河道内から開けた北上盆地に流れ出すところに位置している。磐井川の河道付近は地盤高が高く、一関の中心市街はやや凹状の地形(勾配1/150)のところなので、狭い河道から一気に溢れ出してきた洪水により死者571名などの著しい被害を被りました。前年のカスリン台風でも大きな被害があり、2年連続の大水害となった。およそ2年連続の大水害となりました。およそ5時間後には本流の北上川の氾濫水により再び浸水となった。 私達は当時、一関街から1キロ南側の高台の大町に住んでいたので、被害が少なく、台風だけの影響だけで済んだのである。我が父の兄貴の家庭は、一関町内に住んでいたので、磐井川の反乱で、全壊し流されてしまったのである。早速、留治は兄貴夫婦の復興のために、後片付けに行ったのだった。 兄の正子(まさね)叔父さんは、泳いで逃れる時に、電線に右足が絡まり、溺れそうになったが、無理に解(ほど)いたのだ。足の皮深く剥(む)け、破傷風になり、ひざの当たりまで腐っていったのだ。 父(留治)は兄(正子)を我が町の大町病院にリヤカーに乗せて行ったが、右足切断という結果になったのだ。 片端(かたわ)の不自由な体となった正子叔父さんは、大工の頭領であり、3人の大工職人を雇っていた。3年後に、右足の原因で、体全体に毒が回り、他界してしまったのであった。 阿部家としての長男・正子(まさね)叔父さんの葬儀は、八幡神社にて町一番の葬儀であった。それが我が父(次男)として、最大の供養としたのであった。 ~~~~~朝ドラ日記連載中~~~~~