きみちゃんの「名言集」と「写真展」
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Good morning. How are you, everyone? Today too "My Love Day's". Please read "the morning drama diary of a long piece"!
昭和26年頃の社会状況というと、1月に民営米屋の登録を開始、4月1日より開業。4月に五百円札(岩倉具視)発行され衣料切符など正式に廃止。12月に五拾円札(高橋是清)発行された。少しづつではあるが、民営事業の自由化がなされ始めてきたのである。 私(きみちゃん)の小学校2年生頃の思い出を紹介します。 口が重たく無口な男の子。小心で相手の気持ちと自分の気持ちが良く解るが、うまく表現できない男の子であった。だから人前では話せなく避けてばかりしているから、友達が出来ないのである。しかし、弟思いと両親思いが強く、他人から自分や家族の悪口を言われると、ゴリラの如く相手に襲いかかって行き、自分でもどうすることも出来なかった。だから私のあだ名は「ゴリラ」と呼ばれていた。 砂川村の砂川小学校の周辺は、麦畑と桑畑で緑豊かな村であった。畑を囲った垣根の草木には、でんでん虫やてんとう虫など、そして、畑には沢山のバッタや蝶などの昆虫が飛び交っていた。 春風の強風が吹くと、空が茶色の砂煙になって、家の中まで砂が入り込み、ザラザラになり、掃除に苦慮していた。目・花・口・耳などにザラザラの砂が付いて、人体にも影響を及ぼす砂嵐となった。これが「春の砂嵐」である。 砂川村の農家では、屋根裏に養蚕をしている。そして広い敷地には、養豚や養鶏して、他には野菜畑があり、多角経営のようでもあった。 私達が住んでいる長屋の寮の近くには、屠殺場(とさつば)があった。牛や豚の悲鳴のような鳴き声が耳に焼きついて、お肉など食べる気にならなくなった。屠殺場の汚泥のドブの臭気も鼻についてしかたがなかった。 ~~~~~朝ドラ日記連載中~~~~~