きみちゃんの「名言集」と「写真展」
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Good morning. How are you, everyone? Today too "My Love Day's". Please read "the morning drama diary of a long piece"!
その家の家財道具を見れば、その人の暮らしと文化が解ると言われています。我が父母の子供に対する教育方針も、知ることができたと思います。 昭和30年代初期には、新しいラジオと新しいレコードプレーヤー(蓄音機)が我が家にあった。 昭和40年時代になって、テープレコーダ^ーや白黒テレビが復旧し始めてきたのである。 銭湯の玄関前には、呼び込み用のカバー付きの白黒テレビが設置され、毎日の夕方には、力道山のプロレスが放映されて、人集(ひとだかり)になり、オヤジの肩車(かたぐるま)で見させてもらった思い出がある。いわゆる、「街頭テレビ」であったのだ。 白黒テレビに関する時代的背景は、白黒テレビ放送の搬送波では輝度の信号が送られ、受像器で信号を変換し画像を作る。カラーテレビの受像器でも色は付かないものの映像を見ることができ、互換性を保っていた。 日本では1953年2月1日にNHK東京で本放送が開始され、同年8月28日には、民間のテレビ放送会社の日本テレビが開局した。当初は非常に高価なものであったため(価格は20~25万円と、当時の一般会社員の年収数年分に匹敵していた)、日本テレビは街頭テレビを大量に設置して、CM収入によるビジネスモデルを成立させた。 その後、1950年代後半から1960年代前半にかけて一般家庭に普及していったが1960年代後半からカラー化の波に押され1972年にはNHKのカラー契約数が普通契約(白黒テレビ用契約)数を上回り、1977年のNHK教育を最後にカラーテレビと完全移行したのである。NHK受信料の白黒テレビ用契約(普通契約・衛星普通契約)も2007年9月末で廃止となったのだ(ただし当面の間旧普通契約者は旧普通契約料金が適用される)。現在TV放送で白黒画像が送信されるのは原則過去(1960年代ごろまで)の映像を放送する場合のみである。なお白黒テレビでの視聴はテレビ単体で2011年のアナログ停波まで可能であったほか、RFモジュールを介してデジタルチューナーに接続すれば地上波デジタル放送も可能なのである。 ラテカセ・ポータブルテレビにおいては、1980年代頃まで白黒タイプも製造・販売されていた。 ~~~~~朝ドラ日記連載中~~~~~