802386 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

きみちゃんの「名言集」と「写真展」

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2014.04.23
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類










こんばんは。
今日も一日のお勤めご苦労様でした。
明日のために、十分に英気を養ってください。

Good evening.
It was the work hardship externals today during a day.
Please restore one's spirits enough for tomorrow.


ブルー・点滅ライン


Love Letter
【スズメの暮らし】


◎三宅島:無人島になると姿が消えた

 スズメは日本の野鳥の中で最も人との関係が深い鳥です。その生活の全てが、人のつくりだす環境に影響を受けています。影響の結果は、生息数の増減に表れます。
 ヘビやタカなどの天敵から身を守れるからなのか、原因はよく分かっていません。それでも、人間を必要とするスズメなりの理由があるのでしょう。
 私は長年にわたり、東京・三宅島を中心に、周辺の島の集落のスズメを調べてきました。そこには、台風・地震・噴火などの自然災害がありました。また、人口減少という問題もあります。これらがスズメにどう影響を与えているのかについて、述べていきたいと思います。
 三宅島は、およそ20年に一度の割合で噴火を起こしています。記憶に新しいところでは、昭和58年(1983年)の島の西側の山腹割れ目噴火です。この噴火で、島で最も大きな阿古集落が溶岩で埋没しました。また、島の水がめの一つ新澪池が水蒸気爆発で吹き飛んでしまいました。
 次が、平成12年(2000年)の中央火口からの噴火です。このときの噴火は、火山灰と火山ガスが噴出し島中を覆いました。3850人の島民は、島外避難を余儀なくされました。そして三宅島は、一時、無人島になってしまったのです。
 その後、島の復興に携わる人たちが続々と島に入ってきました。その中に、野鳥の会の会員がいて、「島でスズメが全く見られない」との報告があったのです。
 私は噴火後、動植物への影響調査のグループに入り、スズメを調べました。島では、少したって火山ガスをシャットアウトするクリーンハウスがあちらこちらにできました。こうして人口が増えるのに伴い、スズメの数も増えていきました。
 平成17年には、島民の帰島が許され、そして平成18年には、噴火前の人口のおよそ4分の3にあたる、2907人が島に戻りました。すると、スズメの数も、1平方キロあたり257羽に回復していました。これは噴火前の83%にあたります。

◎御蔵島・新島:施策による人口変化に敏感

 三宅島の南18キロの洋上にある御蔵島には、小さな集落が西側の山腹に一つあります。私は平成12年に初めて、この島を訪れ、集落に、およそ60~70羽のスズメの生息を確認しました。
 そして、平成23年に再び島を訪れました。到着後、さっそくスズメの数を調べました。その結果、およそ90羽を確認しました。
 しかし、この値は、やや高すぎるのではないかと思いました。私は、人口動態に変化があったのではないかと予想しました。後日、島の統計資料を入手したところ、村の人口は現在351人と、前回訪れたときの308人より14%も増えていました。
 村では右肩下がりの人口減少に危機感をもち、人口増のための定住促進プログラムを組んでいたのです。受け入れ住宅の整備、子育て支援、就業育成など、村として甚大な予算を投じてきました。このプログラムが功を奏し、次第に人口が増えてきました。それに伴って、スズメの数も増えたものと思われます。
 新島は、東京から南へ3番目にあたる伊豆諸島の島です。島には、本村と若郷の二つの集落があります。本村は人口2200人余の大きな集落です。島の北端の若郷は、人口370人の小さな集落です。
 私が初めて島を訪れたのは平成13年。このとき若郷のスズメの数はおよそ90羽でした。集落の北側にある小学校のニワトリ小屋周辺と南側にある豆腐屋周辺に群れていました。次に島を訪れたのは平成24年で、スズメの数は13羽と激減していました。
 このような場合、原因として考えられるのは離島の宿命でもある人口減です。しかし集落の人口はやや減少しているものの326人。スズメの数に大きく影響を与えたようには思えません。
 ところが前回とは、大きく違っている点があったのです。本村と若郷を結ぶ2878メートルと413メートルのトンネルができていました。このトンネルによって両集落間は、たったの15分で行き来できるようになっていました。若郷の小学校は、本村に統合され、また、主婦を中心に本村へ勤める人が増えていました。お年寄りは、本村の病院に通っていました。
 このようなことが原因で、およそ250人が昼間の集落からいなくなりました。残っている人たちも磯へ漁に出ています。昼間の集落はもぬけの殻状態になっていたのです。
 この昼間の人口空洞化が、スズメの減少の大きな要因になっていると思われます。(スズメ研究家)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■プロフィル
 さの・まさお:1939年、中国・鞍山市生まれ。長野県下の小中学校に勤務するかたわら、38年にわたり、野鳥、特にスズメの研究を続ける。日本野鳥の会、日本鳥学会会員。著書に『わたしのスズメ研究』『スズメ 人里の野鳥』『雪国のスズメ』などがある。


Flowers & Butterfly


ブルー・点滅ライン


【今日は何の日】


★復活祭、
★サン・ジョルディの日(日本書店組合連合会等1986)、
★緑の週間(4/23~4/29)、
★ふみの日(毎月)
▲足利尊氏、五山十刹の制を定める(1342)
▲シェークスピア没。52歳(1616)
▲井伊直弼、大老に就任(1858)
▲わが国、初の外債を募集(1870)
▲独・仏・露3国が日本政府に対し遼東半島の清国への返還を勧告(三国交渉)(1895)
▲前日の八王子大火の報道に、東京朝日新聞が初めて伝書鳩を使って記事を送る(1897)
▲森永太一郎が、キャラメルを箱詰めにして売出す。盛りそばが1杯3銭のときに10銭(1914)
▲GHQが1ドル360円の単一レートを指令(1949)
▲日本学術会議が原子兵器の研究拒否を声明(1954)
▲静岡県に富士サファリパークが開園(1980)



Flowers & Butterfly


虹色ライン






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2014.04.23 17:04:00
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X