きみちゃんの「名言集」と「写真展」
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Good morning. How are you, everyone? Today too "My Love Day's". Please read "the morning drama diary of a long piece"!
専門校を出てから会社努めした私は、無我夢中で働くことに専念した。仕事がこんなに面白くて働いがいが出てきたのである。昭和37年の秋には、ジャノメミシン工業(株)=JMKは従来の鋳物金型から軽合金鋳造に変更し、より効率化を研究してきたのであった。 私の配属された工作課は精密係と工作係であったが、工作係が、第一工作係と第二工作係と二分割になり、第二工作係は鋳造金型班とプレス金型班の2班となったのである。 私の勤勉さを評価した課長や班長と係長が、旋盤工からプレス金型班に私を推薦したのである。そしてJMKでは社内提案制度が設(もう)けられていた。この提案制度には、A級(特許級)とB級(実用新案級)とC級(現場実用級)であった。 私は研究熱心なのか、度々この制度に書類を提出したが、いつもC級であった。だが、部課長や係長からの信頼が以前より厚くなったことは確かであった。 私は旋盤工から鋳造金型班に推薦されて、フライス盤(milling machine)を操作することになったのである。プレス金型で抜き型と凸型と凹型の折り曲げ型を作成するようになったのである。 ミシンの金型は従来の鋳造金型から軽合金鋳造金型へと変化してきたのであった。それに伴い、工作機械も変化してきたのであった。例えば、旋盤がナライ旋盤になったように、フライス盤もナライミーリングになったのである。これらは全て刃物で工作するのであるが「放電金型ナライ盤」が新たに開発されてきたのであった。 その頃、私は、フランスから輸入された「万能型フライス盤(ユーロン)」を担当し操作をすることになったのである。 ~~~~~朝ドラ日記連載中~~~~~