きみちゃんの「名言集」と「写真展」
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Good morning. How are you, everyone? Today too "My Love Day's". Please read "the morning drama diary of a long piece"!
富子(母)は、夫の働きだけでは、食べるだけで、精一杯である事を知っていた。同じ敷地に家を、母屋と借家の2建たてたので、そ家の借金返済を早めたいと頑張って働いていたのである。そればかりではなかった。息子2人には迷惑をかけたり、心配させたくない思いがあったのである。 2年前ではあるが、平成時代に繁盛している男性専用の床屋のスーパーカットは、昭和43年頃、立川南口に某不動産家が床屋職人を数人集めて、「百番館」の名目で理髪店を経営していた。男性のどんなヘアーカットでも百円の安さで、しかも早くて丁寧で綺麗に仕上げるのが店の売り物なのである。その最初の2年間だけであったが、富子が床屋職人たちの周りの掃除やタオルの煮沸をしながら、レジーを任されていたのであった。次第に、「百番館」が街中に広がり、中年の富子には仕事上厳しくなり、若手に譲るようになったので、開業してから2年間で辞めることになったのである。 昭和45年の春、富子は、仕事の名発見者なのであろうか?次のアルバイト的仕事を、夕方に路地裏で開業している易者で、必ず自分の将来を占ってもらっていたのである。最終的には、「生きるも殺すも自分自身の働きである。」を悟っていたのである。 「北方面に水難の相がある。それが貴女にとって、良(よ)くも悪(あ)しくもなっています。」の占いであった。 立川北口の高松町シネマ通りの繁華街をたまたま歩いて帰路をしていたら、大衆浴室(銭湯)の入口の電柱に「番台女性募集」の広告を目にしたのであった。銭湯の門を開けて入り、番台の女将に広告の件を伺ったのであった。話の条件が、今の自分に合っている事を告げて、成立し、次の日から女将さんの代わりに、番台に座って客商売のようになったのであった。 しかし、半年(6ヶ月)過ぎ頃、、あの女性達の話し声が、番台で聞いていて、心を揺り動かされたのであった。保険外交員らしき二人組のお客さんの話し声であった。 その女達から伺った様に、9月の第一土曜日の午後1時に、立川北口の日本生命館の会議室の保険外交員説明会に参加したのであった。 ~~~~~朝ドラ日記連載中~~~~~