きみちゃんの「名言集」と「写真展」
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Good morning. How are you, everyone? Today too "My Love Day's". Please read "the morning drama diary of a long piece"!
我が家には大きな問題が浮上した。部屋のことであった。 「ね~、私たち、この部屋で寝るの?気が引けわ。」と智子。 「仕方がないだろう。ショットの期間だけ我慢しよう!」と一雄。 と二人は、四畳半の部屋で我慢して、布団を引き休むことにしたのである。 この家の構造は、東西に長い造(つく)りである。東側から言うと、八畳の部屋に北側の押入れと床の間がある。襖(ふすま)隣りが四畳半の部屋で中央になっている。この部屋の北側が廊下で、八畳の部屋と継っていて、トイレと玄関がある。これらの西側に、お勝手の四畳半があるのである。 敷地全体としては、54坪弱であるが、南の敷地には、木造平屋の小さな借家がある。この収入が、たとえ一軒でも大きな働きをしていて、両親の未来の希望なのであった。 若夫婦と両親が一緒に住むには、余りにも無理した構造なのである。我慢の限界でもあるのだ。 自宅療養と近隣の病院への通院生活出来る喜びが、母にとては良かったし、父が付き添って介護してくれるのは、若夫婦にとって、安心できる状態でもあった。 「俺たちの仲人だった横瀬さんに、相談してみるよ。何かいいアイデアーがあるかも知れないからね。」と寝言のように言った。 「本当にそれで良いのかしら?」と智子。 「あ~大丈夫だと思うから、今日は早く寝もう!」と一雄。 「そうね。お休もなさい!」と智子。 今日のところ二人は、自然に眠る事が出来たのであった。 この時の収入として、大体の両親側では、親父の退職金と両親の国民年金である。そして借家の収入があった。私達の収入としては、夫の一雄が、一般会社員の収入であり、妻の智子が製図トレーナーのアルバイト収入であった。 いずれにしても、北玄関から入って、直ぐの部屋は、通常、客間か応接間と考えられるので、何時までも布団を引きっぱなしにしていられないのである。常に清掃して、テーブルお膳を置いていなければならないのであった。 ~~~「我が人生にありがとう!」連載小説~~~