きみちゃんの「名言集」と「写真展」
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Good morning. How are you, everyone? Today too "My Love Day's". Please read "the morning drama diary of a long piece"!
母(智子)は、検査入院であったが、腹部の下部のシコリは、子宮筋腫と判断された。しかし、全ての医療機器での検査と本人の体力を考慮すると、約三ヶ月後の手術と診断されたのであった。 前年度のクリスマスの日に検査入院して、最初の医師による面談検査報告は翌年の1月10日であった。昭和27年1月10日に父(留治)と一雄(長男)は、面談のために立川共済病院に訪れ、担当医との面談をしたのである。 「おはようございます。先生、妻の様態はいかがでしたでしょうか。」と父。病院では、”おめでとう”は無事に退院出来た人に対する言葉であった。 「おはよう。まずは、これを拝見してください。」と言って、担当医の千葉先生は、レントゲンパネルを、光源板に数枚並べて貼り付けて、指を差しながら、更に語った。 「この白い部分が子宮と卵巣なのですが、殆どが黒ずんでいます。これは癌(ガン)に犯されている状態です。その進行状態の度数で言うと、3から4度に進んでいます。全てを取り除く手術が必要です。しかし、その手術に耐えられ身体でなければなりません。現在の奥様の身体を考慮すると、約3ヶ月が必要かと思われます。」と千葉先生は丁寧に説明された。 「と、言いますと、いつ頃の手術になるのでしょうか。」と、一緒に説明を受けていた一雄が 聞いた。 「ま~、4月の初め頃に予定を致しましょうか。ご心配でしょうが、手術に関するそれぞれのスタッフ数人で同時行う手術になると思います。確りした対応をいたしますので、ご安心してください。」と千葉先生言い、二人の顔色を見つめた。 癌のの進行状態の度数は、5度であれば、手術不可能の事である。母の様態は、その手前であった。生命の危機脱出作業である。 母の最近の病床経過は、保険勧誘員の身体検査で発覚した肺結核であった。一年間であるが、清瀬結核病棟に入院し退院した。その後、一年間の家庭療養して元気を取り戻したのであっった。その直後の出来事であった。 「その時には、また、どうぞよろしくお願いいたします。」と一雄。 「先生、本当に宜しくお願いいたします。」と父。深々と頭を下げた。 「あとは、本人の生命力です。良い方向に願うだけですね。」と千葉先生。 「有難うございました。」と父と一雄は同時に言った。 親子と医師との対面対談で、少し安心感が持てたが、不安がかなり感じながらの帰宅であった。 ~~~「我が人生にありがとう!」連載小説~~~