楽しいことないかなあ・・・。

2011/04/25(月)23:05

東日本大震災 2日目

たくさん日本・世界の支援してくれている方々 自衛隊・消防の方々 ボランティアの方々 ありがとうございます。 3月12日 朝6時 辺りが明るくなりました。救助のヘリが飛び始めた。 前の日に降った雪がうっすらと白く積もっていた。 ライフラインはまったく使えず・・・。ガスだけ使える事を確認。 まだまだ余震が続いてる。 同じような津波がこない事を祈る。 外は。まだ重油と火災の匂い。 一晩中、鳴りっぱなしの車のクラクションと踏み切りの遮断機の音。 煙が青空を埋め尽くす。 海が見える駐車場に行き・・。 下を見ると・・・。 ものすごい数のガレキと化した家と車とそして海水。 言葉がでなかった。 涙だけが流れた。 怖くて主人の手を握っていた。 何も言わずに握り返してくれた。 6年前息子が産まれてまもなく、今の高台の家に引っ越しました。 以前住んでいた家は、海の近くで地盤沈下してる場所。 そして母と姉が避難している中央公民館がすぐ目の前。 「宮城県沖地震」を想定して何度も避難の練習などしていました。 でもそれは、全部昼間に宮城県沖地震が発生し、津波の高さは5m。 私は、もし地震が夜中だったら、目覚めの悪い主人は当てにできないので、 子ども2人を抱えての避難は無理だと考えたためでした。 昔住んでいた家は、跡形もなくなっていた・・。 周りの家も何もかも・・・。線路がめくれ上がっていた。 母と姉がいる避難所が見えた。建物は無事だが・・。大丈夫だろうか。 9時過ぎ 中学校・市民会館に避難していた父と母とはるかを自宅に帰ってきました。 情報収集に小学校・中学校・市民会館へ歩いていると知り合いに会う。 そのたび抱き合い、泣きながらお互いの無事を喜びました。 途中知人から、 「県合同庁舎と中央公民館に避難した人をヘリで救助して、気仙沼小学校校庭と ケーウェーブ(総合体育館 ここから車で15分)に輸送する。 どちらに運ばれるかはその時のヘリによって違うらしい。」と聞き急いで 気仙沼小学校校庭へ。 どんどんヘリで救助さてくる中、私の姿を見つけた知人が泣きながら 「家も車も流されてしまった・・。死ぬかと思った。 火がついたガレキに囲まれて怖かった。」 「頑張ったね。怖かったね。助かったんだから!大丈夫だよ。」と抱きしめました。 ヘリから降りてくる人中に母と姉の姿がなくて・・。 もしかしてケーウェーブなのか??? ヘリがくるまでの間、息子の保育園に通う家族が避難している小学校の音楽室へ。 まだ家族が迎えにきていない子もいるみたい。 先生が、「子供達に、絶対お父さんやお母さんが迎えにきてくれるから。って話したら、 誰も泣かないで待ってくれたんです。真っ暗な部屋で、年長さんが年少さんの手を離さずにお世話してくれてて・・。」先生が涙で声をつまらせ、私も大泣きしてしまいました。 こんなに小さな子達が頑張って我慢している姿が、かわいそうでした。 昨晩は、ビスケット一人一枚。お水も紙コップで半分。しか食べてないと聞いて 急いで家に帰り、ゆで卵とおせんべいを差し入れしました。 気仙沼中学校体育館にもヘリで救助された人の名簿があると聞き、行ってみました。 昨日は夜だったので、気づかなかったけど・・。 卒業式の為の 紅白の幕とステージに飾ってある「祝卒業」とたくさんのお花。 本当だったら今日、卒業式なのに。 どんな事にでも一生懸命頑張ってきた3年生。 どうして???どうして???こんなめにあわなきゃいけないの?? 悔しくて、悲しくて涙が溢れてしまう。 中学校に避難している知人に会いに行きました。 自宅が津波で流されてしまったのに、自宅がある私におにぎりをくれました。 「家に帰れば、ご飯があるからいらないよ。」と断ると、 「かなたが、おなかすかせていたらかわいそうだ。」って持たされました。 私より自分達の方が大変なのに・・。うちの息子の心配をしてくれて。 申し訳ない気持ちでいっぱいでした。 「避難所の毛布が人数分がなくて、もらえず寒かった。」と聞き 自宅に帰って、知人に毛布を渡しました。 気仙沼中学校にいる役所の人に、「市役所に避難所ごとの名簿があります。 電気も道路も寸断されているので、役所の人の手書き・そしてリアルタイムの情報ではないんですが。」と教えてもらったので、行って見ました。 徒歩10分の坂道。主人の歩く早さに追いつくのが大変。 停電の暗い市役所中で、たくさんの人達が何冊もある避難所別の名簿を食い入る様に見ていた。 その様子を見て恐怖心を覚えました。 震災の時にテレビで見た映像と同じ。 みんな必死に家族を探している・・。私もその中にいる。 現実なのか夢なのか? そこにはケーウェーブの名簿はなかった。 午後にも4箇所回ったけど、手がかりになる物はありませんでした。 この2日間 涙が止まらない。 被災した人が全員抱いている感情かな・・。(言葉に表せませんが。) でも私達には自宅が残っている。会社も車もあります。 何もかも流されてしまった人に、なんだか申し訳ないような気がして・・・。 そんな後ろめたい気持ちで心が潰れそうでした。

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