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カテゴリ:きもち
こないだ
最近、神経過敏だ。 イライラ、ピリピリしてる。 と書いた。 ふと、大学に復学した年の二年前の今頃を思い出してみると、 これまた、ものすごくムカついていた。 穏やかなわたしである方が、実は珍しいんじゃん? ってことに思いいたる。 プロフィールの好きな本に、 田口ランディの『できればムカつかずに生きたい』をあげているけど、 これはその二年前、ムカついてたまらなくて、 でもムカつきたくない、つらい、どうしたらいいんだ、 と思っていた時に手に取ったのだった。 その頃は、当時の彼氏と別れた後で、 大学にもうまく行くことが出来なくて、 もう、とにかくムカムカしっぱなして、 別れた彼氏と一緒に選んだ部屋にも帰りたくなくて、 (一人もいやだった) 『できればムカつかずに生きたい』も友達の部屋で読んだ。 そしてボロボロ泣いた。 友達の家から一人銭湯へ出かけて行って、 小さな露天風呂で、もう一泣きしたら、 彼への気持ちに、第一段階の整理がついた夜だった。 ムカつく自分にムカついて、完全に自家中毒を起こしていた。 ムカついたり、イライラしているときは、「我」がとんでもなく膨らんでいる時だ。 自分以外のことを、考えられなくなっている。 わたしはもんのすごい自己中人間なのだ。 と、いうことに、イライラした後は気づいてがっかりする。 またやっちゃった。。。って気分だ。 今、わたしの一番の課題は自分の「甘えた」だ。 末っ子根性の名残か、わたしは自分を世話してくれる人をぼけっと待っている。 空から甘い飴が降ってくるのをただ待っている。 許されることを期待している。 やさしくされることを期待している。 母と姉と、三人で整体の治療院に通っていた頃、 わたしの体調を先生に説明するのに、母と姉が説明してしまったことがあった。 二十歳もとうに過ぎた頃のことだ。 自分のことを自分で説明出来ない。なんてことだ。 うまく出来ない時、上目遣いに彼らを見れば、 簡単に(そしてある時は喜んで)助けてくれる。 それは全く習慣的な動作だ。 わたしはその時、いかに自分の力で生きていないかをありありと意識した。 そして不満に思った。不自然に思った。 もう立派な「大人」の年齢だというのに、これはどうしたことだ! まるで子どものままじゃないか!ってね。 だけど、まだまだ、そこから抜け出せていないのだ。 日々の出来事、感じ方、考え方、 それらをのぞきこむと、「甘え」がべったりと張り付いている。 そういうことをなんとなく感じていたところ、 ヴォイスヒーラ渡邊満喜子さんのメルマガが届き、 読んでいくうちにはっきりと浮上してきた。ドキンとした。 (『癒しのスローヴォイス』vol.58) 子どもの頃は、25歳ってとても「大人」だと思っていた。 でも、ただぼんやりしていたって、「大人」にはなれないみたいだ。 もう25になるんだって現実に焦る(30前の区切りの歳ですね)。 格闘はまだまだ続くわけなのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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