2019/10/07(月)22:56
第204回 2014年10月11日(土)雑司ヶ谷「ラ・フレスク」→鬼子母神
実際の開催日は、2014年10月11日(土)です。
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本日は、最低気温19℃、最高気温24℃。
今日は土クラス。雑司ヶ谷です。
「副都心線の乗り換えは大変!」の宣伝効果のせいか、
早めの到着でお茶休憩してらした方、
近くの駅から徒歩の方、都電を使って、等々、
皆さん、それぞれに工夫なさってのご登場 (^o^)丿
雑司ヶ谷 「ラ・フレスク」
このお店のオーナーは、
元防衛大臣の田中直紀氏と、
元外務大臣の真紀子氏。
お二人が店頭に出ているわけではありませんが、
味やインテリアの監修などをしてらっしゃるそうです。
毎回同じ説明ですみませんm(_ _)m
いただきま~す(^◇^)/
平日には、木・金と伺いましたが、
土曜日は今日が初めて。
いつもはビジネスランチのお客様が多かったですが、
今日はご近所の奥様仲間、ご家族連れが多かったです。
ベビーカーも公式に歓迎しているお店なので、
お子様連れも大丈夫。
地元の方に愛されているお店は、安心だと思います。
お腹一杯で、散策スタート!
鬼子母神の参道にあるお店。
お店といっても、
普通の住宅の玄関先のような場所。
素朴な雑貨や、古裂などがありました。
雑司ヶ谷の雰囲気に合ってます。
鬼子母神の境内。
PCの漢字変換では出ませんが、
鬼子母神の「鬼」は、
本当は、上に「´」が付きません。
昔、毘沙門天の部下の妻であった夜叉(やしゃ・鬼)には、
千人の子供がいたが、
毎日、人間の子供千人をさらって食べて、人々を苦しめていた。
それを見かねた釈迦が、
夜叉が一番可愛がっていた末っ子を隠したところ、
夜叉は気が狂ったように世界中を探し、
最後に釈迦の元へやってきた。
「千人も子供がいるのに、
たった一人失っただけでそれほどの悲しみなら、
お前が今まで食べてきた子を失った母の悲しみはどれほどのものか」
と、釈迦に諭され、自分がしてきたことがやっとわかった。
そこで、釈迦に帰依し、鬼子母神として母と子の守り神になった。
という説話があります。
そのため、「鬼」をやめたので、頭の角が取れ、
「´」なしの鬼になったそうです。
子供の人数には、諸説ありますが、ストーリーは同じです。
お参り。
神様が、他の人と間違えないように、
ご自分の、住所・お名前・生年月日を忘れずに。
できれば、携帯番号も。
いいお知らせの電話が来るかも( ^^)
武芳稲荷
ここでも真剣にm(_ _)m
万灯を作っていました。
ポスターがありました。
万灯練供養が近いんですね。
ポスターの文字、
右側一行目の「鬼子母神」の「鬼」の文字、
上に「'」がないのが おわかり頂けるでしょうか。
境内にある公孫樹(いちょう)。
樹齢600年以上。
室町時代から、ここでずっと見ていたんですね。
今は参拝する人も少ないですが、
江戸時代には、将軍のお成りが何度もあって、
雑司ヶ谷は随分賑やかだったそうです。
参道の中にある「学問所 明哲院」
柿を高枝切りハサミで採っていた明哲院の方。
立派な柿を頂きました。
定期的に、大学の哲学の先生や関係者を集めて、
講義などをなさっているそうです。
参道の中にある、雑司ヶ谷の案内所。
今日は鬼子母神にしか行きませんでしたが、
近所には、
東京都の指定文化財にもなっている旧宣教師館や、
著名人が埋葬されている雑司ヶ谷霊園もあります。
土曜だというのに、
参拝客も少なく、ゆっくりできました。
雑司ヶ谷は隣駅は池袋とは思えない、静寂スポット。
今度はもっと広く散策もしてみたいです。
次回は、初めての田町です。
お楽しみに!