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きんちゃんの部屋へようこそ

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音楽の話

2019年09月08日
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カテゴリ:音楽の話
8/10 急性心筋梗塞を発症し、初めての救急車、初めてのカテーテルによるステント手術、初めてのICUを経験しました。現在、徐々に(70%位)回復して来ておりますが、不測の事態を考えて、少しずつ部屋の整理をしております。変な(笑)DVDは速攻で始末しましたが、この20年位で膨大なストックとなっているCD/DVD
の整理をしなければと思ってます。一度観たDVDは思い切って廃棄してますが、
それでも捨てられないのは
若大将シリーズ全17作。ウッドストック。大脱走。
アメリカン・グラフィティ。ブルース・ブラザーズ etc

それから何度も観た「小さな恋のメロディ」。
ビージーズの音楽も素晴らしかったのですが、トレーシー・ハイドとマーク・レスターがトロッコで去っていくのをジャック・ワイルドが見送るラストシーンでのCSN&Yの「ティーチ・ユア・チルドレン」が私的には秀逸でした。
ブラボー鈴木さんがこよなく愛した「ジェリー・ガルシア」がスティールギターで参加してます。
ガルシアのスチールギターとスティブン・スティルスのリードを聴き比べて下さい!

https://www.youtube.com/watch?v=IF0fmDeGnQI

https://www.youtube.com/watch?v=zj8FlXGPcOQ

断捨離の話から音楽の話に代わってしまいました(汗)






Last updated  2019年09月08日 17時16分19秒
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2013年05月03日
カテゴリ:音楽の話
1970年と言えば、安保改正、大阪万博の年でした。
そして徳島を離れ、東京での大学生活を始めた年でもありました。所属したクラブ「民族音楽研究会」では毎年、独自のコンサートを開催しており、その年も九段会館で開催したのですが、我々のグループは1年生ながら運良く出させて頂きました。その当時の音源を、尊敬するF先輩が所有されていたのを、CDで送って貰い、息子にUPして貰いました。最近はこんな古い音源でも、動画風に再生できるんでねえ。(映像は当然ありませんが。。)昭和45年当時では、想像できかった事であります。このコンサートでは10グループ程が出演しましたが、日本語で歌ったのは我々だけでした(笑)当時を思い出して、懐かしいやら、嬉しいやら、ほろ苦いやら。。フェイスブックにはUPしましたが、自分のブログにも載せておかないと。。







Last updated  2013年05月04日 00時06分39秒
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2012年09月20日
カテゴリ:音楽の話
時は1972年秋。大学の1学年先輩で、小生が2年生の時に彼のバンドに参加させて頂いた事もあった、小生の敬愛するFさんの奇跡のお話。茅ヶ崎生まれで現在も茅ヶ崎でお住まいのFさんは、ビートルズのポールの大ファンで、声も吃驚するほど似ておりました。先般の上越行で、彼のプライベートCDを車内で聞かれた方は納得されると思いますが、私の知っている限り、彼ほどポールの声に似ている人には現在も会った事がありません。そんな彼が、一念発起。1ドル360円時代に、留学中の友人を頼ってロンドンへ行く事になったのです。彼の旅行中の間、小生は当時の美人のガールフレンドのお守りを仰せつかった次第です(これは本当:余談ですが)
当然、アビーロードでの記念撮影。EMI近くにポールの住居があるとは聞いていたものの、そこに何と自転車でポールと今は亡きリンダが通り掛ったのです。まさに念ずれば通ずですか。。しかもフィルムは残り1枚。思わず友人に撮ってもらった奇跡の1枚がこれです。あれから40年。ポールは今年70歳。我々も年を取りましたが、奇跡のショットは色褪せても、当時の思い出は鮮明に残っている事でしょうね!

  • 10.jpg

アビーロードにて。1972年 10月。

野音


日比谷野外音楽堂にて。2004年 7月。
左端がF氏。右から2番目が小生。
(サンフランシスコ・ベイ・ブルースのシング・アウト中。)






Last updated  2012年09月22日 19時20分48秒
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2011年10月14日
カテゴリ:音楽の話
柳ジョージさんが亡くなられた。。。享年63歳。夫婦揃ってのファンだった。徳島に来られたら公演にも行ったし、めかし込んでディナーショーにも。。僕のスマートフォンの大半は柳ジョージとレイニーウッド。カラオケで歌うのは「酔って候」。まだまだ良い曲を作ってもらいたかったし、あのしゃがれた声をもう一度聴きたかった。。お酒をこよなく愛したジョ-ジさん。今宵は貴方を偲んで一人酒。。。合掌。

http://plaza.rakuten.co.jp/kin1109/diary/200707210000/#comment
2007/07/21のブログ

http://plaza.rakuten.co.jp/kin1109/diary/200507010000/#comment
2005/07/01のブログ
当時書き込んでくれた勝吉さん(のすたる爺さん)も、ブラボー鈴木さんも、もういなくなってしまいました。。。

最後に。。。






Last updated  2011年10月14日 21時45分47秒
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2011年10月05日
カテゴリ:音楽の話
大阪のオフ会でも話題になりましたが、アイビーにはロックは似合わない。Jazzが基本で、三歩譲ってフォークソングかなあとか。。フォーク・ソングと言えば、ボールド・ストライプのBDシャツに憧れた、キングストン・トリオ、そしてブラ・フォー、PP&Mが定番でした。ぎりぎり何とかボブ・ディランですか。。我々の高校生時代(昭和40年前半)は、中毒のようにレコードを聴いて、ギターをコピーして学園祭でお披露目。皆そんな感じでしたね。当然、ボタン・ダウンのシャツにコッパンにコイン・ロ-ファー。ちょっと色気が出てきた大学生の頃には、ワーゲンかミニ・クーパーに乗ってミーハーな青春時代を謳歌していた人が多かったものでした。。皆同じでしたネ。。当時(60年後半~70年初め)はカレッジ・フォークの花盛り。関東では成城学園の黒パン率いる「ブロード・サイド・フォー」がアイビー・ルック、フォーク・グループのお手本。ただ関西人だけは、事、音楽に関しては「関西フォーク」なる独自の音楽文化があり、皆当然の如く身近な音楽として愛してきました。当時の大阪では「MBSヤングタウン」と言うラジオ番組がありました。司会は斎藤努さんで、小気味のいい喋りで人気があり、高校生の大半はその番組を聴いてように思います。放送の中で「今月の歌」なるコーナーが人気で、その中で有名になったフォーク・バンドが結構ありました。杉田次郎率いる「ジローズ」、ウッディ・ウー、名曲、水色のポエムを歌っていた「小さなオルフェ」、アリス以前の谷村新司のバンド「ロック・キャンディーズ」等々。。そんなこんなで今回は懐かしのフォーク・ソングを少し紹介してみます。


「ジローズ」の「マイハート」。よく音源があったなあって感じです。杉田二郎の声が全盛の頃でしょうか。


「ウッディ・ウー」の「今はもう誰も」アリスの元歌です。こっちが好きな人は多いと思いますが、リーダーの佐竹さんは残念ながら最近亡くなられました。合掌。


「ロックキャンディーズ」の「どこかに幸せが」
谷村新司の伝説のバンドです(だった思います)。
「あなたの世界」が好きで探したのですが見つかりませんでした。残念。。










Last updated  2011年10月06日 22時49分16秒
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2011年08月26日
カテゴリ:音楽の話
シンガー・ソングライター時代の幕開けを告げた男、ジェイムス・テイラー。格好良かったなあ。。今でもスマートフォンに入れて聴いてますよ。お気に入りの一曲は1970年のアルバム「スウィート・ベイビー・ジェイムス」からのヒット曲 「ファイアー&レイン」。彼のガールフレンド(スザンヌ)の死を悲しんで作った曲。他にも名曲は多く、現在も活躍していますが、当年とって63歳。さすがに当時の面影(特に頭髪)は無くなってます。
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昨日の朝、君が亡くなったことを知らされた。
今朝この歌を作ったが誰に贈ったらいいのかわからない。
僕は炎を見た。僕は雨を見た。
終わらないと思われた晴れの日。
友を見つけられない孤独な日々。
でもずっと思っていたのは、もう一度君と会いたいということ。











Last updated  2011年08月27日 00時25分26秒
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2011年04月23日
カテゴリ:音楽の話
「卒業」を観てからキャサリン・ロスに痺れた同世代の男性も多いはず。数年後に「スティング」で再び共演することになるポール・ニューマンとロバート・レッドフォ-ドのコンビも最高に格好良かった。特にロバート・レッドフォードはスティーブマックイーンの代わりに急遽出演が決まったようですが、今作で見事なデビュー?となりました。実在した銀行強盗「ワイルドバンチ」のブッチとサンダンスの物語で、挿入曲(雨に濡れても)も当時(70年)大ヒット。しかし「明日に向かって撃て」なる映画タイトルもさることながら、映画と挿入歌がこれほどアンマッチな組み合わせはないと思いますが、この場面しかないと言う所で流れてきましたね。懐かしい一曲を!







Last updated  2011年04月23日 13時05分54秒
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2011年03月10日
カテゴリ:音楽の話
本国のイギリスとアメリカでは全くヒットしなかったのに、日本では大ヒットした映画です。ストーリーはどうって事もなく、 少年と少女の恋の物語で、最後は結婚するおまけつき。。ビー・ジーズの歌が全編を流れ、とりわけテーマ曲「メロディ・フェア」を含むサウンドトラック盤は日本で大ヒットしました。最後のトロッコを漕いで出発していくラストが目に焼き付いています。紺ブレにエンブレム。マーク・レスター、トレーシー・ハイドも可愛かったですが、ジャック・ワイルドが不良っぽくていい感じの俳優で思い出されます。当時、何と19歳だったとか。。惜しくも数年前に癌で亡くなったそうです。合掌



主題歌。



挿入歌。懐かしい一曲です。



最後のシーンで流れた、CSN&Yの「ティーチ・ユア・チルドレン」。
スティール・ギターを弾いてるのは、あのジェリー・ガルシア(グレイトフル・デッド)です。








Last updated  2011年03月10日 19時21分13秒
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2011年02月27日
カテゴリ:音楽の話
週末、相方は玉造温泉へ1泊2日の小旅行。やることのない小生は一人で近くの「神山温泉」へ。小生の家は町外れにあるので、自宅から車で20分で行けるこの温泉は重宝しております。
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よって今回も洋楽の話を。。
昭和45年前後はアメリカ映画の当たり年だったと思います。「イージー・ライダー」も大ヒット作品の一つでした。ピーター・フォンダが何せ格好良かったし、デニス・ホッパーやジャック・ニコルソンも良い役所でした。彼らが乗っているパンヘッドとバックに流れるニュー・ミュージックがその後のロード・ムービーの基準になったのかも知れませんね。主題歌はステッペン・ウルフの「ワイルドで行こう」。私は途中で流れた「ウエイト」にしびれました。ザ・バンドを知ったのはそれからの事です。













Last updated  2011年03月10日 19時00分14秒
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2011年02月13日
カテゴリ:音楽の話
3連休の最終日。
今日も思い出の一曲を。。
「いちご白書」が日本で公開されたのは大学の終り頃だったような気もしますが定かではありません。サイモン(ブルース・デイビソン)とリンダ(キム・ダービー)のほろ苦く切ない学生運動のさなかの恋愛物語。何故か自分に置き換えて共感を覚えた一本の映画でした。小生が大学に入ったのは1970年。折しも日本では70年安保の年で、アメリカではニクソンが大統領に就任し、ベトナム戦争も泥沼化してきた年でした。日本武道館で入学式を終えて大学迄行ったのですが、中核派の拠点である小生の通う予定の大学は、案の定校門が封鎖されており、そのまま校内に入れて貰えず、その足で徳島に帰ったのを思い出します。ロック・アウト解除の連絡を受けて何か月か後にようやく授業が始まったのですが、何の思想も持っていない連中も(当然小生も)デモ参加を強要され、しぶしぶ一度だけ大規模なデモに参加させられました。日比谷公園に友人と一緒に参加し、レモンを渡され(催涙弾を撃ってきたら目の下に添えるためらしい)赤、青、黒、白等、色とりどりのヘルメットを被って練り歩きました。当然、行きも帰りも電車なので乗客の白い目、嫌なものでも見るような目が気になりました。あれから40年、この歳になったらその時の乗客の気持ちが良くわかるような気がします。それでも当時は自分は至って常識人だと思っていたのです。。。当時のヘルメット(白)は結婚後も我が家にあったのですが女房がいつまにか処分したようです。まさしく一風変わったほろ苦い思い出です。いちご白書の挿入歌は秀逸な曲が多く、主題歌の「サークル・ゲーム」が有名でしたが、ニールヤングの「ヘルプレス」もこの映画にマッチした良い曲でした。これもまた思い出の一曲です。


1976年 「ザ・バンド」解散ライブから






Last updated  2011年02月13日 17時30分16秒
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