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テーマ:日本人のルーツ(528)
カテゴリ:科学・化学・考古学など
3万年前の冒険 台湾→与那国島 丸木舟の45時間① 黒潮越えへ練った戦略
「3万年前の祖先たちは、のほほんと暮らす“原始人”ではなかった。新しい世界を切り開いた開拓者だということを、プロジェクトを通じて発信できた」。7月、丸木舟で2泊3日かけて台湾から沖縄・与那国島に渡ることに成功した、国立科学博物館「3万年前の航海徹底再現プロジェクト」の報告会見が日本記者クラブで開かれ、代表の海部陽介・人類史研究グループ長が、こぎ手たちとともに実験航海を振り返りました。冒険でみえてきたこと、そして残された謎とは―。(中村秀生) 与那国島に到着した丸木舟チーム(3万年前の航海プロジェクト提供) 「見事に舟を操って精神力と忍耐力と判断力でここまで来れた」 45時間かけ225キロメートルを走破し島に渡ったこぎ手5人の奮闘を、伴走船で見守った海部さんはたたえました。 実験航海は、3万年前の旧石器時代人が、どうやって大陸から琉球列島に渡ることができたのか、困難をどう克服したのかーという大テーマへの挑戦。遺跡に残らない“失われた人類史”を復元するプロジェクトです。 当時の技術(石斧=せきふ)で丸木舟をつくり、GPS(全地球測位システム)もコンパスも時計ももたず、こぎ手の交代なしという航海に臨みました。 台湾の出航地から与那国島まで直線距離で206キロメートルあります(3万年前の航海プロジェクト提供の図から) ○ 出航地から与那国島までの直線距離は206キロメートル。航海の大半は島影が見えません。太陽や月、星を見て方角を知り、経験と勘を頼りにかじを取ります。 行く手を阻むのが、最大で幅100キロメートル、秒速1~2メートルという世界最大級の海流「黒潮」です。北向きの黒潮に流されながら、うまく北東の島に向かわなくてはなりません。 黒潮に入ったかどうかは、北風が吹いたときに立つ三角波、南からの大きなうねり、深い群青の海の色などで判断しますが、航海を指揮した原康司キャプテン(47)は、舟上で黒潮の流れを感じ取る難しさをこう説明します。「深いところから地面が一緒に動いているようなものなので、陸が見えない状況で流れているのを判断するのはすごく難しい」 どうやって与那国島を目視できる50キロメートル圏内に入るか―。 シーカヤックで世界を航海した冒険家の原さん。黒潮のスピードはわからなくても、舟が沖合にどれくらい進んだかをつかむ自信はありました。そこで最初の24時間は東へ進み、沖合100キロメートルに出たところで北東方面に針路を変えながら島を探すという戦略を立てました。「100キロメートルを超えてさらに東へ行くと、与那国島の南側を通り抜けてしまう可能性があった」 海部陽介さん 原康司さん 田中道子さん ○ 丸木舟チームは6月25日から天候などの条件が整うのを待ちました。沖縄地方は平年より梅雨明けが遅れ、あいにくの天候不順。ようやく出航期限(7月13日)目前の9日牛後に風がやみ、出航を決断しました。 「やっとこぎ出せると、解放感に満ちていた」と、丸木舟チーム唯一の女性で、かじ取り担当の田中道子さん(46)は、そのときの気持ちを話します。出航後にはアホウドリやアジサシなどと遭遇。「イルカ、クジラを見たときは眠気が吹っ飛んだ。感動した」 しかし丸木舟チームを待っていたのは数々の過酷な試練でした。 (つづく) 「しんぶん赤旗」日刊紙 2019年8月24日付掲載 改めて、丸木舟で台湾から与那国島へ渡ったことの実証事件。今でこそ、206キロ先に島があると分かって漕ぎ出すわけだが、3万年前、最初は何もわからずに漕ぎ出した。 その挑戦心はすごいものだと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年08月27日 07時39分08秒
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