きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

2020/09/16(水)08:03

イルカの新しいアルバム『原石時代』買いました イルカのシュリークス時代の歌の発掘と新しい歌

いろんな取組み(165)

イルカの新しいアルバム『原石時代』買いました イルカのシュリークス時代の歌の発掘と新しい歌 イルカ 原石時代 CDラベル_01 posted by (C)きんちゃん イルカ 原石時代 CDラベル_02 posted by (C)きんちゃん イルカ 原石時代 CDラベル_03 posted by (C)きんちゃん イルカ 原石時代 CDラベル_04 posted by (C)きんちゃん イルカ原石時代CD面 posted by (C)きんちゃん イルカ 原石時代 紹介_01 posted by (C)きんちゃん イルカ 原石時代 2021年にイルカ50周年を迎えるにあたり「前年からプレ50周年を始めませんか?」とスタッフからの言葉は嬉しかったけれど「シュリークスから」の言葉に私は少し戸惑った。 なぜならば、イルカの歴史を辿るにシュリークス時代は外せない。しかし。デュエットで一緒に歌っていた夫のカメ吉君は2007年に旅立ったから。「実現は不可能」と言えば「冬馬君が居るじゃないですかあ」と言われ、なるほどと思い相談した結果、実現しました。夫の代わりに息子と歌う「シュリークス復活!」 先ずはアルバム作りから。シュリークス2枚のアルバムを、アーカイブ・シリーズ(2013年~毎年発売)としてでは無くもっと違う物で。と2枚のアルバムを合体させ新録音を含め作りました。 シュリークスについて少し解説しますと、夫のカメ吉君(後にイルカのプロデューサー・神部和夫)は早稲田のフォークソングクラブ(WFC)の幹事長で学生ながらレコードを出したりコンサート主催などセミプロの様な活動を活発に行っていました。その頃、私は女子美のフォークソング同好会に居て出会いました。カメ吉くんは「にほんの歌う会」を組織しアメリカン・フォーク全盛のあの頃、日本の民謡や唱歌しか歌わない異色な存在でした。同クラブからはザ・リガニ一ズが「海は恋してる」を大ヒットさせ、作者の新田さんは後にシュリークスの2枚のアルバムのディレクターになりました。同じくWFCから「猫」のメンバーとなりイルカコンサートのオリジナルメンバーとなってくれた常富さんは吉川忠英さんと共に今回のアルバムに参加して下さり嬉しい限りです。忠英さんは「イルカのうた」にも参加して下さっているのです。 他にも世代を超えた嬉しい参加が沢山!パパ保坂は骨折リハビリ中にも関わらず孫のお陰で参加!高田渡ちゃんの息子、漣君がギターで、タムジン家からは玲央奈ちゃんと寛君が撮影に。みんな幼い頃に会った事があるんです。 そうして所太郎さんと明治大学からの山田パンダさんの後を引き継いだのが私で71年「四代目シュリークス」となりました。74年10月にソロデビューするまでの間がイルカの「原石時代」という訳です。 世界中から新型コロナウイルスの終息を願って…。 ―2020年の春 イルカ― 1.君に贈るFOLK SONG 2020/イルカ 作詞・作曲:イルカ 編曲:イルカ・河合敏三 2.原石/イルカ・神部冬馬 作詩:イルカ 作曲:神部冬馬 編曲:河合徹三 3.緑の恋/イルカ 作詩・作曲:神部和夫 編曲:イルカ・勝又隆一 4.風と共に/イルカ・神部冬馬 作詩・作曲:神部和夫 編曲:イルカ・勝又隆一 5.きみまつと/シュリークス 作詩:阪田寛夫 作曲:山本直純 編曲:青木望畠 6.私は好奇心の強い女/シュリークス 作詩・作曲:神部和夫 編曲:瀬尾一三, 7.川崎のキツネさん/イルカ・神部冬馬 作詩・作曲:神部和夫 編曲:イルカ・常富喜雄 8・クジラのスーさん空をゆく/イルカ・神部冬馬 作詩:神部和夫 作曲:吉田拓郎 編曲:イルカ・常富喜雄 9.とんがらし/イルカ・神部冬馬 作詩・作曲:イルカ 編曲:イルカ・常富喜雄 10.砂かけおじさん/シュリークス 作詩・作曲:イルカ 編曲:石川鷹彦 11.計算ちがい/シュリークス 作詩・作曲:イルカ 編曲:石川鷹彦 12.1/2/シュリークス 作詩・作曲:イルカ 編曲:石刑鷹彦 13.ひとりごと/シュリークス 作詩・作曲:イルカ 編曲:石川鷹彦 14.おや吏らず/シュリークス 作詩・作曲:イルカ 編曲:石川鷹彦 15.2001年ぼくの部屋/シュリークス 作詩・作曲.イルカ 編曲:石川鷹彦 16.いつか冷たい雨が/シュリークス 作詩・作曲:イルカ 編曲:石川鷹彦 17.杉の木山/イルカ・神部冬馬 作詩・作曲:イルカ 編曲:イルカ・勝又隆一 18.吟遊詩人/イルカ 作詩・作曲:イルカ 編曲:鈴木茂 イルカ 原石時代 紹介_02 posted by (C)きんちゃん 1.君に贈る FOLKSONG 2020 この歌を作るきっかけになったのは25周年を記念して作った3枚組のアルバム「KANON」。イルカの歴史を7分25秒にまとめた物でタイトルも「君に贈るFOLKSONG‘96」。そうか~あれから倍の歳月が流れたのかあ~今回は懐古編でうんと短くしました。…だって、続編を作りたいもん!まだまだ。 2.原石 いつか、実現させたいな!と思っていました。今回は正に必然でした。息子冬馬との曲作り。シュリークスのアルバムを聴いている内にかつて夫が「僕とは一曲も合作が無いんだよね」と言った言葉を思い出しました。でも「自分の世界を容易く崩さないイルカは凄いよ」そう言ってくれた言葉の意味を今も大切にしています。 3.緑の恋 さて!一気に昭和の世界へとお連れしましょう!アルバム「ふるさと」では珍しくソロで歌わせて頂けた私。 カメ吉君の作った初恋メルヘンな曲ですね~今回は原盤からでは無く敢えて再録音!しかも原曲に忠実な音を再現したくてイルカ・ツアーメンバーに託しました。キイの高さに令和の昭和女子を感じてシビレテね! 4.風と共に いつか冬馬に歌って貰いたいと思っていた歌。カメ吉君はいつもコンサートでは大切に歌っていました。 男三人の三男坊として生まれ親への反抗心も強く、でも東京で成功を手にしたい!と思っていたのは「いつか親孝行をしてみせる」という思いがあったから。その思いを今一層強く感じます。晩年のお父さんお母さんの笑顔を一緒に沢山見られた事が私の幸せです。 5.きみまつと シュリークスの原盤です。「もしかしたら、売れるかもしれないと言われ歌謡番組に一度出たりデパートでのキャンペーンもしましたが、レコードを買ってくれたのは親戚のおばさんのみでした。しかし!今回、レコーディングにあたりスタジオで手伝ってくれていた孫娘が「おじいちゃんの声イイ~」と思わず言ってくれたこと!誰よりも可愛がっていた孫からの言葉がカメ吉君は一番うれしいに違いない! 6.私は好奇心の強い女(ライブ盤よ~) 出ましたっ!シュリークスの世界をひっくり返した幻の名曲!アルバム初の原盤でお届け!二人で練習をしている時に即興で出来たので翌日、学祭で歌ったら奇跡の大ウケ!拓郎さんまで「何じゃイルカは~」とラジオで言ってくれたお陰で未だにNHKの長尾Pからもリクエストを頂く迷曲!この歌でイルカの歌唱力?が認知されイルカソロへの確信をカメ吉は掴んだ?因みにタイトルは私が命名!当時のポルノ映画のタイトルじゃ。 7.川崎のキツネさん 公害と言われ汚染された水や空気で沢山の人々が病気になりました。コンコン!と咳をする小児ぜんそくの子ども達をキツネさんとしてカメ吉君が作りました。 私の絵本「ちいさな空」に描いた事からアニメ「ノエルの不思議な冒険」の大きなテーマ自然破壊とも繋がって行きます。冬馬が犬のきんのすけの声をやったのは3歳になった頃ですね。 8.クジラのスーさん空をゆく 吉田拓郎さんの前座を良く務めさせて頂きました。当時は旅館で移動も皆一緒で修学旅行の様に楽しかった!楽屋でカメ吉君がこの詩を渡すと「おお面白いじゃないか」と翌日には拓郎さんが曲を付けて下さり楽屋で猫のメンバーも加わり大盛り上がり!このツアーでカメラマンのタムジンにも出会い写真の御縁は今も続いています。 9.とんがらし(1971年10月31日・作) シュリークス2枚目となる「イルカのうた」。ここで初めてイルカのオリジナル曲を世に発表する事になるのですが。この時期にカメ吉君は「イルカをソロで歌わせる」と一層強く心に決め「自分は歌を止める」と宣言をしました。最初から周囲では「あんなブスでドラ声は売れないよ」と言われてたし。私だってソロで歌う自信なんて全くなかったよ! イルカ 原石時代 紹介_03 posted by (C)きんちゃん 10.砂かけおじさん(1973年2月10日・作) さあ!ここからは一気にオリジナル音源で「原石イルカの世界」をお聴き頂きましょう。遡れば歌は幼い頃からパパ保坂がアレンジをしている炬燵に寝転がって勝手気ままに作っていました。勿論、作曲法など習った記憶は有りません。ホレ!この通り自由な歌!どう見ても当時のヒット曲には結びつかなかったね~(この歌ラップの先駆けかあ?) 11.計算ちがい(1972年3月26日・作) 幼い頃から音楽は何よりも好きな私でしたが、野生生物を救う仕事をするのだと心に決めていました。 だから、こんな私をソロで歌わせようと思ったカメ吉の才能が凄い!あの頃、あちこちにイルカの歌を持参していたみたい。でも良い反応はみられなかった事を私は知っている。私は「あたしの世界はちょっと理解出来ないんだろうな~」なんてノンビリ思っていた。 12.1/2(1973年5月23日・作) そんなある日、私の弾き語りテープを持って二人で向かったのは石川鷹彦氏の自宅兼スタジオ。聴いている内に石川さんはもう既にギターを弾きながら「いいね~面白いね~」を連発して、氣が付けば音を録って下さいました。特にこの1/2はレコーディングの時もミュージシャン達からは大絶賛され私は嬉しくて「この世界でも生きて行けそう」と思い始めました。 13.ひとりごと(1972年9月27日・作) 正に、この詩の様に私は自分の内側ばかりにいて、幼い頃は全く人前では話も出来ない子でした。でもこの年の5月1日に結婚をしてから二人暮らしを大切にしたい。と思える様になり、さらにフリーで活動していたシュリークスを事務所に誘って下さったのは杉田二郎社長です。そして二人組のオフコースとバッドボーイズという仲間にも恵まれました。 14.おやしらず(1973年7月6日・作) 主婦の仕事は大好きでしたがまだまだ一人の時間が無いとダメな私でした。優秀な夫はそれを理解してか?麻雀で頻繁に留守をしてくれました。夫が出かけると直ぐに買って貰ったばかりのマーチン35をケースから出して早速、曲作り!ペランダ越しに隣のビルの屋上で飼われていた兎と話しながら。 15.2001年ぼくの部屋(1973年6月・作) 72年に結婚してから私は大きく生き方を変えました。ベジタリアンになったのだ。一人で。夫とは何度も討論したけれど曲げられなかった。幼い頃から決めていた事だから。大まかに言えば「健康の為・地球の為・未来の為。」いつも少女趣味とかメルヘンとか言われて来たけれど。50年近く実践して来た今、確かに言えるのは「私の心は揺るぎ無い」。 16いつか冷たい雨が(1971年冬~73年4月3日・作) 歌い終わって雪の青森駅に着くと死にかけている老犬に出会いました。パンをあげる事しか出来ず列車に乗る自分の無力さを寝台車の中で書いたのが71年冬。初めて自分の歌をレコーディングする事になると、短くする様に言われましたが「全部揃って作品です」 とカメ吉君が盾になってくれたお陰で今もそのまま歌っています。IUCNの活動もあの老犬が繋げてくれた。と私は思っています。 17.杉の木山(1971年7月・作) 東京は私の愛する故郷に間違いないけれど。田舎に憧れて自給自足の暮らしを夢見ていました。東北本線で仙台から帰る時に美しい里山に魅了され生まれた歌。オリジナル盤ではカメ吉君が歌っていますが、冬馬に引き継いで貰いました。美しい風土や親と子がいつまでも繋がれて行きますように。 18.吟遊詩人(マイスタージンガー)(1981年・作)(1982年L.A.録音 アルバム「JULIA」より) 計画通りにイルカがソロ活動を始め大きくなるにつれ、カメ吉君も沢山のアーティストを抱える大プロデューサーになり多忙を極めてました.成功した事は嬉しかったけれど、一緒に歌っていたあの頃「シュリークス」の頃をいつまでも忘れないで欲しいなという願いを込めて作った歌です。 このアルバム「原石時代」を夫のカメ吉君に捧げます。 2020年イルカ イルカ 原石時代 歌詞紹介_01 posted by (C)きんちゃん ここから、歌詞を紹介… イルカ 原石時代 歌詞紹介_02 posted by (C)きんちゃん イルカ 原石時代 歌詞紹介_03 posted by (C)きんちゃん イルカ 原石時代 歌詞紹介_04 posted by (C)きんちゃん イルカ 原石時代 歌詞紹介_05 posted by (C)きんちゃん イルカ 原石時代 チームイルカ posted by (C)きんちゃん チームイルカが集合! まだまだ、頑張ります!

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