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2021年02月28日
全9件 (9件中 1-9件目) 1 徳島(吉野川・祖谷)紀行(2009年5月)
テーマ:ぶらり見て歩き(625)
東祖谷から剣山を通って脇町へ
途中、徳島県最古の民家、三木家によりました。 ![]() 三木家住宅_2 三木氏は、阿波忌部の直系として、歴代の践祚大嘗祭に、御衣御殿人(みぞみあらかんど)として、麁服(あらたえ)を貢進しており、南北朝時代には山岳武士の頭領として大きな勢力を有し、当地にも居をかまえていた。 現存する三木家住宅は、その子孫の居住する住宅であり、徳島県で最古の民家として、国の指定をうけている。 ![]() 三木家住宅_3 資料館が併設されています。開館日:4月~11月の間の土・日・祭日。開館時間:午前10時~午後4時。 三木信夫氏および、美馬市木屋平地域のボランティアの方々によって開館しています。 ![]() 三木家住宅_4 脇町に着いたのは午後7時前。お店や展示施設はすべて閉まっていました。 でも、夕暮れで、ライトアップされていい雰囲気になってきました。 ![]() 夕闇の脇町・うだつの町並み_03 ![]() 夕闇の脇町・うだつの町並み_06 ![]() 夕闇の脇町・うだつの町並み_08 ![]() 夕闇の脇町・うだつの町並み_09 ![]() 夕闇の脇町・うだつの町並み_11 ![]() 夕闇の脇町・うだつの町並み_13 ![]() 夕闇の脇町・うだつの町並み_14 脇町を出たのが午後8時前、徳島道の脇町ICに乗ったのが午後8時ごろ。 徳島ICで下りて、一般道を走り、鳴門ICから淡路鳴門自動車道へ・・・。途中、室津のPAで休憩した以外は、一気に走り抜けて、神戸に10時すぎに帰ってきました。 5月5日の早朝に神戸をでてから、6日の深夜まで、たっぷり楽しんだ2日間でした。
2009年05月14日
テーマ:ぶらり見て歩き(625)
昼食後は、東祖谷をさらに入っていきます。
最初は、落合集落だ。 最初の分かれ道から川を渡ります。次の三叉路を右側に入ります。落合集落が見渡せる高台にでます。 ![]() 東祖谷・落合集落_2 江戸中期から昭和初期に建てられた民家。一つ一つの積み上げた石垣と畑が急斜面にひろがり、なつかしい山村の原風景に会える。国の重要伝統的建造物群保存地区 ![]() 東祖谷・落合集落_3 しばらく走ると、奥祖谷観光モノレールがあります。 観光用につくられた、三嶺にむけて森の中を駆けあがるモノレールです。延長4,600m、高低差590m、最大傾斜度40度、最高標高1,380mです。約1時間10分かかります。 ![]() 奥祖谷モノレール_02 行って来ま~す 2人乗りの車両で、乗車料金、一般(中学生以上)1,500円、小学生700円、小学生未満無料です。 ![]() 奥祖谷モノレール_04 最初は、往復の路線が平行して走っていますが、途中で別れます。 ![]() 奥祖谷モノレール_06 タケニグサ ![]() 奥祖谷モノレール_09 ![]() 奥祖谷モノレール_12 森の中の、いろんな植生を見ることができます。 ![]() 奥祖谷モノレール_08 すごい傾斜度 ![]() 奥祖谷モノレール_14 モノレールのそばに、小采家という民家が残っています。 ![]() 小采家_01 ![]() 小采家_04 さらに、奥に入って行くと、天空の村・かかしの里に着きます。 ![]() 天空の村・かかしの里_01 農家の縁側で、かかしがうとうとしています。 ![]() 天空の村・かかしの里_03 ![]() 天空の村・かかしの里_04 ここの案山子たちは、しっかりと働いています。 ![]() 天空の村・かかしの里_10 ![]() 天空の村・かかしの里_07 ![]() 天空の村・かかしの里_12 狭い道なので、かかしが「徐行」の標識をもっています。 さらに奥に入って行くと、二重かずら橋に到着です。 ![]() 奥祖谷・二重かずら橋_01 ![]() 奥祖谷・二重かずら橋_02 長い方のかずら橋、「男橋」と言われています。 ![]() 奥祖谷・二重かずら橋_04 こちらは、行き違いがあります。 ![]() 奥祖谷・二重かずら橋_06 もう一方のかずら橋です。「女橋」。 ![]() 奥祖谷・二重かずら橋_10 ![]() 奥祖谷・二重かずら橋_07 ![]() 奥祖谷・二重かずら橋_11 「野猿」という、ロープウェイのようなものもあります。 ![]() 奥祖谷 野猿_1 ![]() 祖谷渓谷から剣山に向かっていき、剣峡を通って、脇町に出ました。剣山から直接、貞光にでるよりずっと「ぐねぐね」した道でした。
最終更新日
2009年05月14日 22時20分40秒
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2009年05月13日
テーマ:ぶらり見て歩き(625)
東祖谷は、平家落人伝説をはじめ、歴史の古い土地です・・・
祖谷観光旅館をでて、早速、東祖谷方面の道を走りました。 まず、最初に行ったのが、東祖谷現存最古の農家と言われる「木村家」だ! ![]() 木村家住宅_2
![]() 木村家住宅 こいのぼり ![]() 木村家住宅 庭から 木村家から、もう少し奥に入っていくと、三社神社の社叢。いわゆる、鎮守の森がある。 ![]() 三社神社の社叢_1 ![]() 三社神社の社叢_3 次に、平家屋敷の阿佐家に行きました。 ![]() 平家 阿佐家_2 こちらも、現存の民家として住んでおられます。 ![]() 平家 阿佐家_4 阿佐家からの、祖谷の眺め・・・。 次は、武家屋敷の喜多家だ!
![]() 武家屋敷 喜多家_3 同じように、床の間がある部屋が、ふたつありました。 ![]() 武家屋敷 喜多家_4 ![]() 武家屋敷 喜多家_5 防御用の中廊下です。 ![]() 武家屋敷 喜多家 外敵防止の中廊下 外から、矢を射られても、居住しているところまで届かないようになっています。 喜多家の隣には、鉾神社と鉾杉があります。 ![]() 鉾神社 ![]() 鉾杉_1 武家屋敷喜多家の入口には、東祖谷歴史民俗資料館があります。 ![]() 東祖谷歴史民俗資料館 平家落人伝説の資料や、地元の産業、生活の資料が展示。ビデオ上映もあります。 さらに、東祖谷を入っていくと、安徳帝ゆかりの八幡神社があります。 ![]() 八幡神社_1 口伝えによると、八島の合戦に破れた平国盛は、安徳帝を守護し、讃岐の志渡より白鳥・水主庄を経て、大山を越え、吉野川をさかのぼり、寒峰越で、祖谷山へ入山された、安徳帝は文治2年(1186)正月この地にて亡くなったという。 ここで火葬して、この八幡神社を建てたそうです。 ![]() 八幡神社_2 ここの鎮守の森も、しっかりしたものです。 ![]() 八幡神社 栗枝渡の火葬場 安徳帝を火葬したと言われる跡です。 さて、ちょうどいい時間になったので、「そば道場」で昼食をしました。 ![]() そば道場_01 ![]() そば道場_02 ざるそば800円、おにぎり150円でした。
最終更新日
2009年05月13日 22時54分22秒
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2009年05月12日
テーマ:ぶらり見て歩き(625)
大歩危を後に、平家屋敷資料館に行った
![]() 平家屋敷資料館_1 この屋敷の祖先は、安徳帝の医者だったとか。屋内には、平家由来の宝物や、当地の歴史を物語る資料が展示されている。 ![]() 平家屋敷資料館 平家の赤旗 ガラスケースに入っている、平家の赤旗。でも、800年以上前の赤色が残っているとは、レプリカ臭いですね。 東祖谷の阿佐家の赤旗はすっかり色があせてしまっています。 ![]() 平家屋敷資料館 琵琶 琵琶の楽器。その後、「平家物語」が語られるようになってからの時期のものでしょう。 ![]() 平家屋敷資料館_2 ずっと、時代がくだってからのものもあります。 さて、泊まる宿、祖谷観光旅館にやってきました。 ![]() 祖谷観光旅館 宿泊は、「秘境の湯」入浴券付き、「ぼたん鍋&そばだんご汁」付きコースです。 夕食の前に、温泉「秘境の湯」に行ってきました。 ![]() 秘境の湯_01 露天風呂やサウナが付いた温泉です。ホテルが併設されています。 入浴だけですと1,000円かかります。そのチケットが、+500円で付いているのは「お得」です。 宿との往復に20分ぐらいかかります。それでも、ゆっくり露天ぶろやサウナに入ることができました。 帰ってきて、さっそく夕食 すごい量でしたよ!! ![]() 祖谷観光旅館の夕食_1 アメゴ まず、アメゴをメインにした基礎メニュー ![]() 祖谷観光旅館の夕食_2 しし鍋&そば団子 それに、「しし鍋」+「そば団子汁」に自家製のこんにゃく。 冷奴も、祖谷特製の「石豆腐」とか・・・ ![]() 祖谷観光旅館の夕食_3 祖谷そば さらに、祖谷ソバまで付きました。 ![]() 祖谷観光旅館の夕食_4 しし鍋 しし鍋が、ぐつぐつ煮立ってきました。さすがに肉の量はすくないけど、美味しかったです。 その晩、翌日の計画を立てて早めに寝ました。 女将さんの話だと、「かずら橋」はお日様が顔を出した午前5時から渡れるってことだから、「早起きして朝食前に行って見よう」と思ったからだ!! 翌日、午前5時30分に起きて、かずら橋にやって来た。 あいにくの雨模様だったが、いい雰囲気の写真が撮れた。 ![]() かずら橋_1 ![]() かずら橋_4 手を取り合って 若い男女4人グループが渡っていた。一人がちょっと遅れ気味・・・ ![]() かずら橋_5 やっと渡りきりました! 心配そうに見ながらも、ちゃっかり携帯のムービーで「おっかなびっくり」のところを撮っていましたヨ。 かずら橋を楽しんだあとは、すぐそばの「琵琶の滝」へ ![]() 琵琶の滝_1 ![]() 琵琶の滝_3 ![]() 琵琶の滝_4 ![]() 祖谷観光旅館の朝食 朝めし前の、一仕事がすんだところで、旅館の朝食です。 ![]() 祖谷観光旅館 この湧き水が美味しい 旅館の脇に湧き出ている、美味しい水。 一緒に泊まった、若い男女4人グループの女性が、「私、お茶をやっているの」「このお茶は美味しいね」というのに、女将さんが「美味しいのはお茶の葉っぱでなくてお水のせいよ」と言っていました。 とりえは「水ぐらいかな」とも・・・ そこで、車に積んでいた2リットルのペットボトルに入れて帰りましたヨ ![]() 祖谷観光旅館 かかし人形 旅館の女将さんが作った「かかし人形」。あとで紹介する、「かかしの里」に出てきます。 さて、東祖谷の秘境めぐりにでます。
2009年05月11日
テーマ:ぶらり見て歩き(625)
阿波池田から土讃線にそって吉野川をさかのぼって行きます。
いわゆる、大歩危・小歩危に入っていきます。 最初に立ち寄ったのが、赤川橋。JR小歩危駅の近くにあります。 ![]() 赤川橋_3 ![]() 赤川橋_1 高くて怖い! わりとしっかりしたつり橋だけど、高いのでちょっと怖いです。 ![]() 赤川橋 ディーゼルカーが小歩危駅に到着 渡りきって、戻ってくる途中、土讃線のディーゼルカーが小歩危駅に入ってきました。 大歩危に入って、道の駅「まんなか」の川沿いには、こいのぼりが泳いでいました。 ![]() 大歩危峡 こいのぼり_1 ![]() 大歩危峡 こいのぼり_3 道の駅からは、大歩危・小歩危の川くだりがでています。 ![]() 大歩危 川くだり1 ![]() 大歩危 川くだり2 道の駅から、もう一つ川をさかのぼったところに、ラピス・石の博物館があります。 最初は、小学生向けに、大歩危・小歩危の地質をまじめに紹介しています。 ![]() 大歩危 ラピス・石の博物館_1 レキ質片岩。もともとの石の材料が残っている。 ![]() 大歩危 ラピス・石の博物館_2 塩基性片岩。 ![]() 大歩危 ラピス・石の博物館 四国の地層 四国の地層のうんちく、大歩危・小歩危のなりたちの説明を見た後は、きれいな石の展示を見て回りました。 ![]() 大歩危 ラピス・石の博物館_3 ![]() 大歩危 ラピス・石の博物館 アクアマリン 【アクアマリン】 きれいですね。男のわたしもうっとりとします。 ![]() 大歩危 ラピス・石の博物館 スタールビー 【スタールビー】 ![]() 大歩危 ラピス・石の博物館 孔雀石 【孔雀石】 ![]() 大歩危 ラピス・石の博物館 石膏 【石膏】 こんなおおきいのがあるんですね。 ![]() 大歩危 ラピス・石の博物館 オーケン石 【オーケン石】 ![]() 大歩危 ラピス・石の博物館 ラピス・ラズリ 最後に、この博物館の名前にもついている、かの有名な「ラピス・ラズリ」です。 石の博物館の前からの大歩危峡・・・ ![]() 大歩危峡_2 これから、平家屋敷資料館へ行きます この日は、ラピス・石の博物館も平家屋敷資料館も連休ということで、本来なら午後5時までのところ午後6時までやっていました。
最終更新日
2009年05月11日 21時40分38秒
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2009年05月10日
テーマ:ぶらり見て歩き(625)
今度は、池田町のうだつの町並みです。
国道192号線から、左側のわき道に入ります。街中を走りながら、「池田駅」の標識が見えたら右折します。ほどなく、うだつの町並みに入っていきます。脇町や貞光と違って「うだつの町並み」などの標識がでていないので、大変わかりにくいです。 また、駐車場もわかりにくく、たばこ資料館の向かいの「三好教育センター」ってところを無断で借りました。 ![]() 池田 たばこ資料館 たばこ資料館だけ見学できました。入館料300円。 幕末から明治にかけて繁栄した阿波池田のたばこ製造業者の住居です。 当時のたばこは「きざみたばこ」が主流でした、祖谷の山地で作られたたばこの葉が池田などに集められてたばこの生産が行われました。 ![]() 池田 たばこ資料館 商標登録証 当時のたばこの商標登録証です。陸奥宗光って名前に時代を感じさせます。 ![]() 池田 たばこ資料館 刻みタバコ販路 たばこの販路は日本各地に及びました。 ![]() 池田 たばこ資料館 たばこを運んだ船 たばこを積んで吉野川を下った船の模型です。 ![]() 池田 たばこ資料館 たばこを刻むカンナ 最初は包丁でタバコの葉を刻んでいたのが、カンナに変わったそうです。効率は良くなったのですが、カンナの刃に油をさす為、香りは落ちたそうです。 ![]() 池田 たばこ資料館 刻みタバコ製品 ![]() 池田 たばこ資料館 刻みタバコ製品 当時のパッケージです。現在の紙巻たばこでなく、たばこの粉だけです。 さて、池田のうだつの町並みをご覧下さい。 ![]() 池田 うだつの町並み_02 ![]() 池田 うだつの町並み_01 ![]() 池田 うだつの町並み_03 ![]() 池田 うだつの町並み_05 ![]() 池田 うだつの町並み_06 ![]() 池田 うだつの町並み_08 ![]() 池田 うだつの町並み_10 うだつじゃないけど、酒屋さんも古い造りです。名前も「大阪」でなく「大坂」になっています。 ![]() 池田 昔の消火栓 こんなものもありました。昔の消火栓。1903年(明治30年)のものだそうです。
最終更新日
2009年05月10日 21時05分37秒
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2009年05月09日
テーマ:ぶらり見て歩き(625)
つるぎ町貞光は二重うだつの町並みで有名です。
その中でも、織本屋といって昔の造り酒屋が無料公開されています。 ![]() 貞光 織本屋_01 ![]() 貞光 織本屋_03 入口の脇には覗き窓があります。 ![]() 貞光 織本屋_06 ![]() 貞光 織本屋_07 ![]() 貞光 織本屋_08 2階に上がる階段は箱階段でした。 ![]() 貞光 織本屋_05 「釘隠し」にも意匠が凝らされています。 ![]() 貞光 織本屋_10 もう一つ無料で、旧永井家庄屋屋敷が公開されていました。 ![]() 貞光 旧永井家庄屋屋敷_01 ![]() 貞光 旧永井家庄屋屋敷_03 天井が低いですね。 ![]() 貞光 旧永井家庄屋屋敷_05 掛かっていた掛け軸。 「桃花己為三層浪 玉樹長含万里風」 「桃の花は、いくつもの波が寄せ来るかのように、一面に咲きほこるこの槐の樹には、いつも万里の彼方から吹いてくる風の香りが漂う」という意味だそうです。 ![]() 貞光 旧永井家庄屋屋敷_06 庭は遠くの山を借景としています。 ![]() 貞光 旧永井家庄屋屋敷_07 屋敷の隣には蔵があります。 さあ!二重うだつの町並みをご覧下さい・・・ ![]() 貞光 二重うだつの町並み_05 ![]() 貞光 二重うだつの町並み_06 ![]() 貞光 二重うだつの町並み_07 ![]() 貞光 二重うだつの町並み_09 ![]() 貞光 二重うだつの町並み_15 ![]() 貞光 二重うだつの町並み_16 うだつに描かれている絵(レリーフ)は「鏝絵(こてえ)」と言います。 ![]() 貞光 二重うだつの町並み_18 ![]() 貞光 二重うだつの町並み_08 ![]() 貞光 二重うだつの町並み_02 次は、池田町のうだつです・・・。
2009年05月08日
テーマ:ぶらり見て歩き(625)
吉野川沿いにさかのぼる。もろもろの穴場スポットをめぐりました。
淡路鳴門自動車道から高松道に入り、板野ICで高速を降ります。 そのまま南下して、徳島道の藍住ICの脇を通って吉野川まで出ました。 ![]() 吉野川_2 吉野川沿いに上っていくと、可動堰建設でゆれた「第十せき」に来ます。 江戸時代に、現在の吉野川が作られた後、元もとの吉野川に水をまわしたり、新しい吉野川が氾濫したりするのを調整するために「せき」が作られたそうです。今でも、十分に役に立っています。 ![]() 第十せき 吉野川から離れて、撫養街道(県道12号)を走り、第十番札所、切幡寺に行きました。 ![]() 切幡寺_3 切幡寺の仁王様です。 ![]() 切幡寺_4 ![]() 切幡寺_7 ![]() 切幡寺 大塔_4 切幡寺には二重塔(大塔)があります。かなりの見物です。 もともとは、大阪・住吉大社神宮寺にあったもの。明治初頭、神仏判然令により廃寺となったため、明治6年(1874年)第45世住職天佑上人が買いうけ、ここに解体移築したが、同上人の時代には初重部のみが仕上がり、続いて智湛上人が二重部を仕上げ、完成に10年を要した。その特徴は、5間四面にして、初重と二重との間が方形をなす大塔である。今日この形式の遺構は本邦唯一であり、国指定重要文化財に指定されている。 撫養街道をさらに走ると、「段ノ塚穴」の標識が目に飛び込んできました。 ![]() 段ノ塚穴_6 いわゆる、古墳の遺跡です。 古墳時代末期(6~7世紀)の横穴式石室を主体とする2つの円暮。徳島県下随一の壮麗な台石室は、国の史跡に指定されています。 ![]() 段ノ塚穴_2 ![]() 段ノ塚穴_3 大小、二つの古墳がならんでありました。 ほどなく、「郡里廃寺跡」の標識・・・ ![]() 郡里廃寺跡_1 郡里廃寺跡は、白鳳時代に創建された徳島県最古期の古代寺院跡です。現在までに塔跡(一辺約12m)、金堂跡(東西約18m、南北約15m)寺域範囲(東西約94m、南北約120m)が判明しているそうです。法起寺式の伽藍配置であることがわかっているそうです。 ![]() 郡里廃寺跡_2 でも、草ぼうぼうで、見る影もありませんんね。 さらに、撫養街道をさかのぼり、滝寺の竜頭の滝を見に行きました。 ![]() 滝寺 竜頭の滝_1 もうひとつ上に、金剛の滝がありました。 ![]() 滝寺 金剛の滝_4 ![]() 滝寺 滝寺の本堂 最後に、三村用水。吉野川ぞいながら、この地域は農業用水が不足していたようで、山をくりぬいて用水工事をした。その用水は今でも使われているそうです。 ![]() 三村用水_4 ![]() 三村用水_1
最終更新日
2009年05月08日 22時20分13秒
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2009年05月06日
テーマ:ぶらり見て歩き(625)
吉野川沿いに、うだつの町並みをみながらさかのぼり、小歩危・大歩危を通って、祖谷渓谷を行く・・・
2009年5月5日~6日。ダイジェスト編です。 ![]() 第十せき 吉野川河口近くにある「第十せき」。江戸時代に氾濫防止のためつくられました。 ![]() 二重うだつ(貞光) 貞光の二重うだつ・・・ ![]() 滝寺・龍頭の滝_01 滝寺・竜頭の滝 ![]() 大歩危 大歩危峡 ![]() 奥祖谷・落合集落 東祖谷の落合集落 ![]() 天空・かかしの里 天空の村・かかしの里 ![]() 奥かずら橋 東祖谷の二重かずら橋 ![]() さそがれのうだつの町並み(脇町) たそがれの、脇町・うだつの町並み・・・ 2日間、たっぷり堪能しました。
最終更新日
2014年05月13日 00時07分17秒
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