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2021年01月18日
全9件 (9件中 1-9件目) 1 琵琶湖めぐりの旅(2012年5月5~6日)
テーマ:琵琶湖(21)
琵琶湖めぐりの旅 1泊2日 新旭野鳥観察センター~風車村~白髭神社 (5月6日)
![]() マキノから国道161号に入らずに湖岸道路を走り・・・。新旭野鳥観察センターにやってきました。 時間的にぎりぎりセーフです。観察時間は20分ぐらいあるかな? ![]() ![]() 窓際に望遠鏡が並んでいました。 そのまま覗いて観察すると中腰になるのでちょっとしんどい。 座って落ち着いて観察した方がいいようです。三脚なので高さ調整ができます。 近くの葦(よし)には、オオバンがいました。 ちょっと遠くの葦(よし)には、カイツブリやカモがいました。数は少なかったですが、サギも見つけられました。 望遠鏡を動かすと、不思議とピタリと見つかったりします。すると右に、左に動かすと次々と見つかります。 見つからないときは全然見つかりません。 短い間でしたが、結構楽しめました。 ![]() ![]() 角度的には午前中は逆光になるので、午後からの観察がいいようです。 今度来るときは時間的に余裕をもって、自分のカメラで撮影してみたいと思います。 喫茶室も併設しているようですので、入りびたりになりそうです。 ![]() 引き続き湖岸道路を走って新旭風車村にやってきました! ![]() ![]() 喫茶・レストランのアイリスでちょっとゆっくりしたいなと思っていたのですが、残念ながらお休みでした・・・ ![]() 湖岸道路から国道161号線に合流。しばらく走ると白髭神社があります。 ![]() ここのスポットはなんといっても湖上に浮かぶ鳥居です! まるで厳島神社と同じです。 ![]() ![]() 夜に通るとライトアップされていて、ものすごく幻想的です。 厳島神社と異なることは、潮の満ち引きがないので、つねに水の中にあることです。 神社と鳥居の間は国道161号線が走っているので、車がびゅんびゅん走っています。 渡るのにかなりの時間、車の行き来を待つ必要があります。 ![]() 白髭神社の境内はそこそこ広いです。上の方にも社殿があります。 ![]() ![]() 今話題の「源氏物語」の作家、紫式部の歌碑もありました。 国道161号線をそのまま走ります。志賀で「湖西道路(無料)」の入り口がありました。国道161号線のバイパスです。高規格道路ですが、国道のバイパスなので無料です。 当然入りました。ただし、琵琶湖大橋を渡る場合は入らない方がいいようです。 大津ICで名神高速に乗るつもりでしたが、この湖西道路、大津ICでなくって京都東ICに接続しています。 このバイパスは山の中を走っていて、しかも大津ICと京都東ICの間は4キロ余りしか離れていないので、その方が自然なんでしょうけどね。 神戸で満タンにして、1泊2日の間、琵琶湖を反時計回りに一周しました。途中で給油しないでなんとか神戸まで帰って来れました。 阪神高速・京橋(神戸)ICを下りたのが午後8時過ぎ、行きつけの楠六のGSで給油して帰宅しました。
最終更新日
2012年05月17日 00時04分00秒
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2012年05月15日
テーマ:琵琶湖(21)
琵琶湖めぐりの旅 1泊2日 奥琵琶湖パークウェイと丸子船の館、海津大崎の湖畔・・・ (5月6日)
![]() 奥琵琶湖パークウェイに入って最初に立ち寄った、つづら尾崎の展望台。展望台っていうけど、本当を言うとあまりいい展望ではなかった・・・。 ここでお土産を買った。 ![]() 途中に展望のいいところが何ヶ所もある。片側一車線なのだが、一方通行なので事実上片側が空いているようなものだ。 比較的道が広くなっているところもあって、車を停めて写真を撮ることは特に問題はなかった。 ![]() ![]() ![]() ![]() 奥琵琶湖パークウェイの塩津側の出口の警告表示。塩津側からは入れない。 ![]() ![]() 菅浦まで行く同じ道を大浦まで走る。今度はさっきは通り過ごした、「北淡海・丸子船の館」に入った。 昭和30年代まで琵琶湖の湖上輸送で活躍していた丸子船を展示している。 僕が生まれたころまで琵琶湖を走っていたわけで親しみを感じる。 ![]() 実際に運行していた丸子船の実物が展示されている。この丸子船は会館の建屋が造られる前に運び込まれたそうだ。運び込まれて、補修され、化粧塗されたそうだ。解説ビデオを館内で観ることができる。 ![]() 展示されている丸子船には帆が張られているが、昭和30年代まで運行していた丸子船はエンジンで走っていたとの事。後ろにスクリューの穴が残っています。 ![]() 丸子船の館 琵琶湖にはぐくまれた悠久の浪漫。幻の船が運ぶ湖の記憶を訪ねて。 琵琶湖の最北、西浅井は古くより北陸と京都・大阪をつなぐ重要な交通路として人々の暮らしとかかわってきました。 大浦・菅浦・塩津の三つの港を有し、陸上と湖上輸送の中継地でもありました。 その湖上輸送の主役を務めたのが丸子船でした。 「北淡海・丸子船の館」は湖上輸送の主役として活躍した丸子船をメインテーマに、西浅井町の歴史や古人のロマンにふれていただくためのスペースです。 丸子船の実物の展示を中心に、船体備品や航海・荷造作業備品から生活用具まで貴重な資料の数々が展示されています。 【丸子船】 丸子船は、二つ割りにした丸太を胴の両側に付けた琵琶湖独特の船です。 古く万葉の時代より北陸と都を結ぶ交通・物流の要衝として栄えたため最盛期の江戸時代には約1400隻が湖上を往来していました。ここに展示されている丸子船は百石船(米俵250俵を積載可能)で、全長17メートル。現存する丸子船2隻のうちの1隻という貴重なものです。 【琵琶湖水運の歴史】 琵琶湖の水は、淀川へと流れ、はるか昔から人々の暮らしを支えてきました。 近世・江戸時代には、北国諸藩から京都・大阪に年貢米、ニシン・海藻、紅花などが運ばれ、「京都・大阪からは北国諸藩へ陶器や漆器・反物・着物などが運ばれました。このように文化の交に欠かせなかった琵琶湖の水運。その主役を務めたのが丸子船でした。 ![]() ![]() ![]() 大浦港と丸子船のジオラマもありました。 かつては、このように賑わっていたのでしょうね。 ![]() その大浦から海津大崎、さらにマキノまで琵琶湖畔を走りました。 ![]() ![]() 竹生島です。 ![]() ![]() ![]() 開けてきて、まるで海原のようです・・・ マキノから国道161号線でなくって湖岸道路に入った。高島市新旭水鳥観察センターの閉館時間までに、なんとか間に合いそうだ!
2012年05月14日
テーマ:琵琶湖(21)
琵琶湖めぐりの旅 1泊2日 余呉湖から湖北の菅浦集落へ (5月6日)
全長寺の後は余呉湖に立ち寄りました。天女の羽衣伝説のある柳の木を見るためです。 ![]() ![]() いろんな説があるのだが、その一つに、天女の子どもの一人が後の菅原道真だとか・・・。 ここまでくれば話しが出来すぎって感じです。 ![]() ![]() 釣り客たちの天下でした。 ![]() 次に湖北の隠里、菅浦集落に行くのですが、奥琵琶湖パークウェイは菅浦から塩津方面への一方通行となっています。 手間ですが、木之本から国道8号線を塩津まで行き、国道303号線に入り、永原交差点から557号線で大浦まで行って、県道513号線で菅浦まで行く大廻りのルートでないといけない。 ![]() 途中、大浦から菅浦までの琵琶湖畔です。 ![]() ![]() ![]() 左手の坂を登れば奥琵琶湖パークウェイ、右手が菅浦集落だ。 ![]() かつては陸路のない本当の隠里だったというが、今は観光化しているようだ。 ![]() ![]() かつては集落の東西南北の入り口に関所にあたる門があった。現存しているのは西と東の門だけ。こちらは西側の門だ。東西南北に4つあったため、四足門という。 ![]() ![]() こちらは東側の四足門。本当ならこれより東には家はないはずのだが・・・。現在は民家が建っています。でもこれより先には道路はありません。行き止まりになっています。 ![]() まずは、菅浦神社にお参り。 ![]() 途中、菅浦の集落を見下ろします。 ![]() ![]() ![]() お参りした後は、別の道で集落に下りていきました。 ![]() こんなのを見ると、いかにも隠里って感じです。 ![]() 菅浦集落は琵琶湖の入り江にあります。 ![]() ![]() ![]() だから漁港もあります。 ![]() 時間が止まったような感じの菅浦集落を後にして、奥琵琶湖パークウェイを走ることにした。
最終更新日
2012年05月14日 20時57分21秒
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2012年05月13日
テーマ:琵琶湖(21)
琵琶湖めぐりの旅 1泊2日 湖北の寺院めぐりをした (5月6日)
![]() 最初に来たのが彦根市内にある天寧寺の五百羅漢だ。拝観は9時からなのだが、少し早くついてしまった。「まだでしょうか?」と言うと「どうぞ」と入らせてもらった。 ![]() ![]() 五百羅漢と言っても各地にいろんなものがあるが、ここのなかなり立派なつくりだ。 【天寧寺 五百羅漢】 五百らかん天寧寺は、井伊直弼公の父である直中公が自分の過失で手打ちにした腰元と初孫の菩提を弔うため、禅宗界屈指の名僧寂室堅光禅師の勤めで発願建立した。 文政2年(1819年)の春、男子禁制の槻御殿(現在の楽々園)で大椿事が持ち上がった。奥勤めの腰元若竹が、お子を宿しているらしいという風評が広まり、それが藩主の耳にも届いたのである。 大奥の取締のためにも相手の名を詰間したが、口を固く閉ざして相手を明かさない。遂には不義はお家の法度であるという掟によりお手打ちということになった。後になって若竹の相手が長男直清であったということが明らかになり、直中公も不知とはいえ若竹と腹の子(初孫)を葬ったことに心痛め追善供養のため、京都の大仏師駒井朝運に命じて五百羅漢を彫らしめ安置されたのである。 ![]() ![]() ![]() ![]() 五百羅漢の中心には釈迦像と十大弟子の像があった。 ![]() 羅漢堂の裏側には石庭があった。 ![]() また、桜田門外の変で殺害された井伊大老の供養塔があった。 彦根のICから名神高速に乗り米原JCTで北陸道に入り、長浜ICで下りた。 そのまま琵琶湖岸に出て、さざなみ街道を走る。高月から国道8号線に戻り、渡岸寺観音堂にに向かった。 ![]() ![]() ここでは国宝の十一面観音と大日如来を観ることができた! 撮影禁止なので、写真はありません。その代り、パンフレットからその由来を紹介します。 【国宝十一面観世音 渡岸寺観音堂】 その昔、聖武天皇の天平8年(今から約1250年前)当時都に疱瘡が大流行し死者が相次いだので、天皇は除災の祈祷を僧泰澄に勅せられました。泰澄は勅を奉じ、祈願をこめて十一面観世音を彫み、一宇を建立して息災延命、万民豊楽の祈祷をこらしてその憂いを絶ったと伝えられます。 以来、病い除けの霊験あらたかな観音像として敬仰せられ、桓武天皇の延暦20年(801年)には比叡山の僧最澄が勅を奉じて七堂伽藍を建立し、多くの仏像を安置して輪奥の美をきわめました。しかし時勢とともに寺運は漸く衰え、元亀元年、豪雄浅井・織田両氏の戦火のため、堂宇は悉く烏有に帰し寺領亦没収せられて、ここに全く廃滅してしまいました。 此の兵乱に観音様を敬仰する住職巧円をはじめ土地の住民達は、兵火が堂宇を襲うや猛火を冒して搬出しましたが、お守りする堂なく、やむなく土中に埋蔵して難をまぬがれたといわれます。その後、巧円は真宗に転宗し、光眼寺を廃寺にし向源寺を建て、諸佛は秘仏としてお守りしてきました。 (中略) 十一面観世音菩薩は、頭上に十又は十一の小面をもつ変化観音で、夫々の小面に化仏をもつことより考えて、十一体の観音のはたらきを一身に具現したものと思って良いでしょう。その成立の根拠には異説が多く定説となるものがありませんが、シヴァ神の異名である十一最勝神との交渉により、多面に亘る救済化益の観音として説かれたものと思われます。その十一面は前三面が菩薩の慈悲相、左三面が瞑怒相、右三面狗牙上出相、後一面暴悪大笑相、頂上にある一仏面の如来相をいいます。 この十一面観音像は頂上仏面が菩薩相で、五体の化仏のあるほかは、きわめて儀軌に忠実であり、左右夫々の一面を耳のうしろに大きく表現するなど、密教像特有の印度的な感じをまことによく伝えています。(法隆寺金堂被災壁画・胎蔵界曼茶羅などにその例をみます)像高は約1.95メートル(約6尺5寸)頂上面を除く宝髪より蓮肉に至るまで一木彫成で、その刀法は上から下へ、下から上へ、いささかも渋滞するところなく、冴えた彫りの美しさをあらわしています。 また眉から鼻にかけての秀麗な線、かたく結ばれた唇など、その豊かな顔容には崇高な森厳さが秘められています。そして腰をわずかにひねるかのような豊麗な姿態に、仏身ながら官能的な量感をさえ感じます。これらのことは泰澄作の寺伝はともかく、平安初期の様式を代表するすぐれた遺例として奈良法華寺の十一面観音と併称される所以でもありましょう。(略) ![]() 最後は旧余呉町の全長寺だ。達磨さんの掛け軸や紫陽花で有名なお寺だ。 ![]() 拝観300円となっているのだが、日常的に受け付けていないようで・・・。予約しておく必要があるようです。 今回、第17代目(だったかな?)の住職さん直々の案内でした。初めに「達磨さんの写真はだめですよ」と断られた。 以下、パンフレットからの紹介です。 縁起 文明元年(1469年)僧全長、池原村字新堂に阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の一字を開き全長坊と称す。大永6年(1526年)全長示寂を前に禅宗に帰依し、同郡椿坂村曹洞宗桂照院二世願正全養に請うて全長坊を託す。慶長2年(1597年)願正禅師、全長の意を受けて全長坊を曹洞宗に転じ、寺名を久沢山全長寺と改め、当寺の開山となる。 安永6年(1777年)池原、国安、文室、東野、今市の5ケ村より現在の境内地の寄進を受けた。十世泰蟠童龍禅師は15ケ年の歳月を費やし、寛政3年(1791年)に七堂伽藍の完成をみた。 門前の杉の老木は往時をしのばせる。以来法灯連綿として今日に至っている。 達磨さんの頭の「たんこぶ」は知恵を表しているとか、耳のイヤリングはインド風だとか。久沢山の由来はこのあたりに伏流水が湧き出ているからだとの事。いろいろ教わりました。 ![]() こちらは馬頭観音のある観音堂です。観音様といえば温和な顔立ちなのですが、この馬頭観音は強面ですと言われました。
最終更新日
2012年05月13日 23時49分23秒
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テーマ:琵琶湖(21)
琵琶湖めぐりの旅 1泊2日 彦根は清瀧旅館に宿泊 翌朝早くキャッスルロードを散策・・・ (5月5日~6日)
少し早めに宿に到着。駐車スペースは2台分空いていたので、縦列駐車で壁際に停めた。 部屋に案内されちょっと休憩。午後6時から夕食を食べられた。 ![]() ![]() オプションで頼んでいた近江牛のステーキ。本来なら100gのところ200gにグレードアップしてもらった。「全部食べれるかな」と心配されたが、柔らかいいいお肉で、ペロリと全部頂いた。 ![]() 清瀧旅館の玄関の行燈。 ![]() 泊まった部屋の前の掛け軸。 ![]() 温かい雰囲気の階段の照明です。 ![]() ![]() ![]() ![]() 中庭もライトアップされていました。 ![]() 翌朝は早起きして旅館を抜け出して、キャッスルロードまで散策することにしました。ここは旅館のある花しょうぶ通り商店街です。 ![]() ![]() 人力紙飛行機ってイベントをやってるようですね。 ![]() 一つ筋を間違えて入った一番町商店街です。 ![]() こちらがキャッスルロード。彦根城の大手門の京橋から西側にまっすぐに伸びています。 ![]() みやげ物屋さんが並んでいます。まだ朝早いのでだれもいません・・・ ![]() ![]() もう一つの観光スポット、4番町スクエア。大正ロマン風に商店街を改築しています。 ![]() ![]() ![]() 彦根城では時間帯が合わずに、ひこにゃんには出会えなかったのですが、ここ4番町スクエアで見つけました! ![]() この後朝食をして、少し休んで出発しました。五百羅漢のある天寧寺の時間に合わせるためです。 清瀧旅館さん、お世話になりました。
最終更新日
2012年05月13日 14時38分44秒
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2012年05月12日
テーマ:琵琶湖(21)
琵琶湖めぐりの旅 1泊2日 彦根城にやって来た! (5月5日)
国道8号線が渋滞。彦根城到着の予定が15時30分。実際に到着したのは15時45分だった。 二の丸駐車場の方が近いのだが、いっぱいの様子だったのですこし離れた桜場駐車場の方に停めた。 ![]() 表門から彦根城に入る・・・ ![]() ![]() 最初に出くわすのが天秤櫓だ! ![]() ![]() ![]() 次に、太鼓門櫓だ! ![]() こちらは、城の内側。外側は守りを固めているが、内側は廊下があって開放的だ。 ![]() ![]() 連休だけあって、天守閣に登るには行列に並ばないといけなかった。 ![]() 待ち時間60分。この時点で16時20分、並んで登るときは17時20分。彦根城の他も見たいし、旅館には18時に着くと言っているので今回はやめることにした。 以前に登ったことがあります。急なはしごを登った記憶があります。 ![]() 天守閣は外からだけ楽しみました。 ![]() ![]() 天守閣に登らなかった事もあり、西の丸・三重櫓に入りました。 ![]() 三重櫓の内部です。国宝・天守閣と同様に建設当時のままの姿です。 ![]() ![]() 三重櫓の一番上3階から、瓦を見下ろします。 ![]() 三重櫓からの展望。琵琶湖がすぐそばに迫っています。 ![]() ![]() 西の丸・三重櫓を観た後、天守閣の方に戻ってきて、帰りは黒門から出ることにしました。 ![]() ![]() 黒門から出たところのお堀です。 彦根城と玄宮園の共通券だったのですが、彦根城の方は17時30分まで、玄宮園の方は17時で閉まっていました。 だので、今回は玄宮園を観ることができませんでした。 駐車場に着いた時は17時10分。キャッスルロードまで行っていると旅館に18時まで着きそうにない。 少し早くなるが旅館に向かうことにした。 ![]() こちらは翌日の朝に撮った大手門側の入口だ。
最終更新日
2012年05月12日 23時56分54秒
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2012年05月11日
テーマ:琵琶湖(21)
琵琶湖めぐりの旅 1泊2日 近江商人の町 新町通を歩く (5月5日)
![]() 八幡掘りから、近江兄弟社メンターム資料館の前を通って、近江商人の町・新町通にやってきました。 ![]() 近江八幡 新町通り_02 posted by (C)きんちゃん この通りには、旧西川家住宅、市立郷土資料館・歴史民俗資料館、旧伴家住宅が並んでいます。 3館共通券を、市立郷土資料館で購入できます。500円です。 ![]() 順番から行くと旧西川家なんですが、チケットを購入した郷土資料館から見ました。 ![]() ![]() 次に、郷土資料館のすぐ前の旧伴家住宅に入りました。 ![]() 入ってすぐのところに、左義長保存会の龍のだしものがありました! ![]() 龍の目つきと持っている玉に迫力ありです! 2階には金太郎人形など端午の節句の人形が並んでいました。 ![]() 通りを戻って、旧西川家に入ります。 ![]() ![]() ![]() 天井や太い梁に注目・・・ ![]() 家紋ののれんにも注目! ![]() 外庭と内庭にも注目です! ![]() ![]() 次に、新町通から3つ東側の通りにある旧八幡郵便局に行きました。 これはヴォーリーズ建築です。 ![]() モダンな雰囲気の館内です。 ![]() 明り取りの天窓もありました! ![]() 2階も公開されていて、まるでアトリエの様です。 ![]() この日は、彦根城を観て、彦根キャッスルロードや四番町スクエアーの商店街も見る予定。 急いで駐車場へ。 元々のゼンリンの地図検索では、近江八幡から彦根までは県道2号線で行く予定だったのですが、後でGoogleマップで検索すると国道8号線の方が早いようす。 距離的には長いのですが国道8号線を走った。 これが失敗の元。彦根に近づくに従って渋滞がひどくなり・・・ Googleマップでは50分のところ、70~80分もかかってしまった。 やっと、彦根城に到着。でも、その間にお天気が下り坂になっていた((+_+))
最終更新日
2012年05月11日 22時32分39秒
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2012年05月10日
テーマ:琵琶湖(21)
琵琶湖めぐりの旅 1泊2日 八幡掘り~日牟禮神社~八幡山ロープウェイ (5月5日)
水郷めぐりから近江八幡の散策に向かいます。観光駐車場は2カ所。小幡観光駐車場の方が新町通に近いのですが一杯だったらいけないので、大きい方の多賀観光駐車場に停めました。 ![]() 近江八幡の市街地へ歩いていくと、「八幡掘りめぐり」の看板が見えました。ちょっとのぞいてみようと八幡掘りに下りました。 ![]() ちょうど、かわらミュージアムのところでした。 ![]() ![]() ![]() 八幡掘りめぐりの船と出会いました。この船はエンジンで走っていました。 ![]() 次に、日牟禮神社にお参りしました。 ![]() 以前に来た時もそうでしたが、鯉のぼりがたくさんかかっていました。 ![]() ![]() お宮参りでしょうか?小さい赤ん坊を抱いた方がいました。 ![]() 次に、八幡山ロープウェイに乗りました。 往復で800円ですが、JAF割引で720円で乗れました。 ![]() ![]() 途中での行き違いです。 ![]() 山頂の展望台や瑞龍寺からの近江八幡の町並みです・・・ ![]() 琵琶湖最大の内湖・西の湖が見えます。 ![]() ![]() 真ん中の小さい山が安土山です。 ![]() 山頂にある瑞龍寺にお参りしました。 安土・桃山時代に、豊臣秀次の母であり秀吉の姉である端龍院日秀尼公が、秀吉に自害させられた秀次の菩提のために、京都の村雲に創建しています。そのため俗に、村雲卸所と呼ばれています。のち、昭和37年(1962)に現在地に移されました。 ![]() ![]() お稲荷さんもありました。 ![]() 本来なら15分間隔の運転ですが、連休なので随時運転です。片道4分ですので実質上は6分間隔ぐらいです。 ![]() ロープウェイを下りてきたら、お江ちゃんが出迎えてくれました。 ![]() 昼食は、どこともいっぱいの様で・・・。明治橋のたもとのやまとくで食べました。 うな重(2,300円)を頼みました。 いつも食べているうな重よりは薄味のタレで、素材を生かしている感じでした。 ![]() 職人気質を感じさせる解説です。 「松花堂弁当」~純会席和食の料理 2,800円から 「近江路」~郷土料理のお料理 2,800円 ![]() 六人がけの掘りごたつ形式の席です。込み合う場合は相席になります。 ![]() 店を出た後、あと一枚撮りました。柳と八幡掘り・・・ 次は、近江商人の町並みを歩きます。
最終更新日
2012年05月10日 22時26分50秒
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2012年05月09日
テーマ:琵琶湖(21)
琵琶湖めぐりの旅 1泊2日 まずは近江八幡・水郷めぐり(2012年5月5~6日)
![]() 近江八幡の水郷めぐり、八幡山ロープウェイで八幡山に登り近江八幡の町並みを見下ろし、近江八幡の近江商人の街を散策。 次は、彦根城を観て、キャッスルロードを散策。 彦根に泊まって次の日は、湖北の観音さんめぐり。余呉湖に寄って、奥琵琶湖パークウェイをドライブ。途中に、隠里の菅浦集落に立ち寄る。 湖西の湖岸道路をドライブして、新旭野鳥観察センター、新旭風車村、白髭神社に立ち寄って帰るルートだ。 近江八幡には水郷めぐりの船が4つあるが、手漕ぎにこだわっているところに行った。 【元祖・近江八幡水郷めぐり】 ![]() 乗合船で、一人2,100円だ。連休なので随時出発していて、受付からすぐに乗ることができた。 ![]() ![]() 「この辺りをまわります」と説明をうける。動力船でないので、西湖まで出ないで、近場を回ることになる。 ![]() 狭い水路(八幡掘り)の間を抜けて出発だ!途中に記念撮影があった。一般的な旅行社と違って、「帰りに写真を買ってね」という事はなかった。 ![]() 水郷の両側には葦の群生があります。普通にいうと「あし」と発音すのですが、「悪し」に結びつくとして忌み嫌い、この地方では「よし」と発音しています。 ![]() ![]() ![]() ![]() 水路を抜けると、大きいところに出ました。内湖と言うそうです。ところどころに、ペットボトルが浮いています。魚を採る仕掛けがあるそうです。 ![]() ![]() ![]() ところどころに、水柳が生えています。 ![]() 内湖からまた小さい水路に入っていきます。 ![]() 水路に入っても、水柳はあります。この水柳は根が浅くって、風などで倒されてしまうそうです。枝が折れてしまうこともよくあるそうです。 ![]() ![]() 水路では鳥たちも出迎えてくれました。 船頭さんが、「いるんだろ。でてこいよ!」と呼びかけると、ウグイスが「ホーホケキョ!」と応えてくれて、みなさん感動しました! ![]() 水路のそばの田んぼに水が張られていました。 ![]() 水路では、要所要所で橋の下をくぐります。橋は鉄筋コンクリートなんですけど、見た目は木製の様に作ってあります。 ![]() ![]() ![]() よしの大龍神のほこらがありました。 ![]() もう一つの内湖です。 ![]() 他の水郷めぐりの船が追っかけてきます。 ![]() ![]() 先を行っている船です・・・ ![]() この辺りからは、八幡山がよく見えます。船を降りた後は、ロープウェイで登ります。 ![]() また水路をめぐって、元の八幡掘りに帰ってきました。約80分の水郷めぐり。これから出かける船と行き違いです。 この会社で和船は30隻ぐらいあるそうですが、船頭の方が少ないとの事。 1隻の定席(ざぶとんの数)が8つです。 この和船に乗るのは2回目。といっても、近江八幡では他の船に乗った事がありません。 動力船で沖まででるのもいいですが、“日本で一番おそい乗り物”に乗るのもおつなものですね(*^^)v
最終更新日
2012年05月09日 22時46分11秒
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