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3年前、特に親しくしていたというわけではない。
しかし、英国に来て、私が最初に驚き、強い印象を受けた人たちであったのは間違いない。 ミン。 タイ人の女性。 タイの東大、チュラランコーン大学卒業後、すぐうちの学校の国際関係論修士に入学した。 このチュラランコーン大学から、うちの学校には毎年かなり多くのタイ人が入学する。 チュラランコーンとうちの学校が提携してるからなのだが、 どうも、チュラランコーン→うちの学校というルートは、タイの最高のエリートコースになってるらしい。話を聞くと。 うちの学校は途上国相手のこういう商売は非常にうまい。。。 こういうところは「英国のモデル校」とトニー・ブレア首相に大絶賛されているのだ。私は問題ありと思うが。。。 このタイのエリート。率直に言って、学力レベルは多少問題あり。 かつてこの子たち、みんな経済学部に入学していたらしい。ところがある年、全員落第という事態が。。。 それで、どうも経済学部は難しいという情報がチュラランコーンを駆け回ったらしい。次の年からうちの学部の「国際関係論」に多くが入るようになった。 ところが、この「国際関係論」もどうも哲学的で難解だ。。。。 という情報がチュラランコーンを駆け回ったらしく、今は多くがビジネススクールの「国際産業論」にどどどどーっと入るようになった。 まあ、ちょっとほほえましい気もするが。。。。 このエリートたち、ほとんどが女の子である。 実態はエリートというより、海外に子供をいかせることができる、ごくごく一部の金持ちの子供なのだろうと思う。 私が入った年の、このタイの女の子たちのリーダー格がミンであった。ミンは、中華系の富豪の娘。 顔はテレサ・テンをちょっとタイ風に濃くしてような顔。 大きな瞳が印象的なかわいい子だった。 家族といっしょの写真を見せてもらったが、 まあなんともきらびやかな格好をしたお父さん、お母さんでしょ。 その背景の家は、ぶったまげるような大豪邸。。。 これに比べたら足寄の千春さんの豪邸なんて、ひよこみたいなもんだ。。。 彼女と最初に会ったのは、本コースが始まる前の2000年8月、プレセッショナル・イングリッシュコースであった。要は、本コース前の英語コースである。 私は、彼女を見て不思議に思った。 彼女が着ている洋服、身につける装飾品、バッグ。。。。 全身有名ブランド。。。 全て、日本の若い女性と同じではないか。 私のなかでは、タイというのは 貧しくて、日本の親父ども相手に売春してて、エイズが流行ってる。。。。。 彼女はどうみても、そんなものとは無縁なのだ。 彼女が日頃しゃべることも 「パパ、ママ大好き」 「国王様大好き」 ばかりであった。 あと、タイのデザートの作り方とか。。。 彼女の日常も、 周りに常に10人くらいのタイ人女性を引き連れながら、 芸術会館で映画を観たり、演劇を観たり。 うちの学生寮には、日曜日午後に、アイスクリームを売りに車が来るのだけれど、その車の音楽が流れ始めると、 きゃ~~~~ って感じで寮から10人くらいのタイ人女性が走って出てくる。。。。 あるとき、日本から「女性学」を勉強しに来たおばさまが、 目をつりあげながら、ミンに質問した。 「タイでは、男女平等の運動はあるのか?」 ミン、それってな~に~?って表情で ぽかーんとしてなにも答えなかった。。。。 貧困、不幸せとは、全く無縁。。。。 ミン。今はタイ王国の外交官だそうだ。 私が彼女から教わったことは1つ。 海外に留学して、学校内で外人と交流したからといって、 外国がわかったような気になってはならない。 海外に留学できるような人は、おそらくその国のごくごく一部のお金持ちだけだ。 タイ人だけではなく、 週末になると、パーティを開き、 踊り狂うラテンアメリカ、アフリカ、東南アジアの学生たち。 優雅にご遊学している世界中のお金持ちたちの影に、きっと真実がある。 -------------- 「私の研究」の 「政治の役割」、一部内容を改訂して、コンテンツに加えました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2003年06月28日 23時25分34秒
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